::::: COMING :::::

「火星人が来たぞ!」
 子供たちが口々に叫び、遠巻きで珍獣を見やるような目を向ける。
 僕は幾本もの鋭い視線の合間を掻いくぐるようにして通り過ぎた。
 火星人――この呼び名を耳にするたび、僕は胸が痛くなる。それは、最後にそう呼んだ少女の顔が、今でも目に灼きついて離れないからだ。
 そう、あの日からずっと、僕の中で時を止めてしまった彼女の顔を――




「火星人が来たぞ!」
 侮蔑と嘲笑混じりの声が僕を出迎えた。教室のドアを無造作に開け放つと、それまであったざわめきが消え、冷たく鋭い視線が投げかけられる。僕はうつむき加減に同級生たちの前を通り過ぎ、窓際の自分の席に戻った。幾本もの凍った視線を全身に浴びながら。
 いじめとすら呼べない、あまりに露骨で馬鹿げた行為。それでも彼らが先に口走ったことは間違いではない。僕は正真正銘の火星人なのだ。
 勘違いしないでもらいたいのは、僕はにょろにょろとした足を持つ軟体動物などではなく、れっきとしたヒトであるという点だ。そんなものは旧時代の戯画的なイメージに過ぎない。ただ彼らと違うのは、本籍が火星にあるというだけのこと。
 だが、星籍が他星――特に火星にあるということが、地球においては問題になっているのも事実なのだ。


「情けないわね、リオ・ラスキン」
 多分、同級生にまともな言葉をかけられたのは初めてだったので、僕は面食らった。驚いて振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
「どうして言い返さないの? 悔しくないの?」
 彼女の瞳がまっすぐ僕を射貫いてくる。僕は一瞬、言葉を失った。
「言い返すって、どうやって? 僕が火星人であることに間違いはないだろう?」
「それはそうだけどね。でも火星人という呼び方が、差別を含んでることぐらいわかってるんでしょう?」
 はっきりと言う子だな、と思った。その時の、彼女に対する認識はそんな程度のものだった。
「さあね。それは呼ぶ人の心持ちによるんじゃないかな」
 できるだけさりげなく答えると、彼女はわざとらしく腕を組んで溜息をついた。
「なるほど。別にあなたの星籍だけに問題があるというわけじゃなさそうね」
「要するに、僕自身に問題があると?」
「そうね。直す気があるなら早いうちにしておいたほうが身のためよ」
「ご親切にどうも。ええと――」
 僕が言い淀んでいると、彼女はちらりと一瞥をくれた。
「ソニア・シェリーよ」
 そうして、こちらに好奇の目を向けていた奴らの間をすり抜けて、彼女は僕の視界から消えた。



「テキストのセクション3を開いてください。今日は前回の続きで宇宙衛生史についてお話します」
 教壇のミス・グラントがよく通る高い声を放った。前方のスクリーンには指導用の画面が映し出されている。僕は自分の画面でセクション3を選択し、ページを開いた。
 授業は、生徒がそれぞれ持つ端末と教師の端末とを通して行われる。テキストも当然、端末にインストールしてあるから、忘れ物をする心配はない。旧いアナログ時代のように鞄に紙の教科書を詰め込んで、黒板の文字をせっせとノートに写す、などという面倒なことはないのだ。
 だから本来は、いちいちスクリーンに指導用画面を投影して、生徒の視線を前方に向けさせる必要はないのだが、ミス・グラントという人はどうやら教壇に立つことを生きがいにしているらしく、常にスクリーンで授業を行う。教卓で腰掛けたほうが、よっぽど体も楽だろうに。
 また、彼女は四十近くになっても「ミス」のままなのだが、独身を貫くことを誇りにしているらしく、あえて未婚既婚の区別のつかない「ミズ」ではなく「ミス」と呼ばせているのだという。転入してきて間もない僕だったが、彼女が普通の地球人女性とはずいぶん違った感性の持ち主であることはわかる。
「現在、地球から他星に移動する時は、皆さんも知っているように必ず火星のステーションを経由しなければならないことになっています……」
 ミス・グラントの声が遠くなる。別に彼女が遠ざかっているのではない。僕の意識が彼女から離れていっているのだ。
 惑星史の授業くらい、火星でも受けている。それどころか向こうのほうが進みも早いし、特に宇宙衛生史についてはテキストでも詳しく取り上げている。
 無理もない。それは自星の歩みと、そして現在置かれている立場に深く関わっているからだ。

 人類が初めて火星に降り立ったのは約一世紀前。それから次々と地球の各国家が共同出資で有人探査機を打ち上げ、まずは地下に実験施設を、やがては中規模の街が造られていった。
 現在のような地上都市が完成するまでにはずいぶん手間取った。というのも火星は極寒で大気も薄く、また宇宙放射線を大量に浴びる惑星だったからだ。だから地下深くに居を構え、大気も水も充分に造られ、「地球化」される日まで待ち続けなければならなかったのだ。
 そしてその間、地球と火星を往来するものすべてに義務づけられたのが宇宙検疫だった。
 特にチェックが厳しいのが、地球における検疫システム。地球外から細菌や微生物が持ち込まれた時、未知の病原体に対して人間はあまりに無防備だ。特にそれが放射線に曝されれば、たとえ元は地球産のものであっても、どのように変異を起こすか見当もつかない。
 そのため、地球を訪れる火星移住民たちは入念な検疫を受けさせられた。衣服はすべて剥ぎ取られ、全身のすみずみまで殺菌、消毒される。まるで人そのものが病原菌であるかのように。
 そんな扱いが、やがて差別を生んだ。

「――リオ・ラスキン!」
 突如、鋭い声が耳に突き刺さった。慌てて視線を前に移すと、教壇のミス・グラントが眼鏡の向こうから強烈な眼光を放っていた。
「何をぼうっとしているんです? 今はセクション5ですよ?」
 僕の画面はセクション3のままになっていた。いつの間にか授業はずいぶん進んでいたらしい。
「地球の景色が珍しくて、つい窓の外に目移りしてしまうんでしょうけど、今は画面に集中しなさい」
 ミス・グラントは溜息と文句を同時に吐き出す。なかなか器用な人だ。
 僕のテキストがめくられていないことも、ホストコンピュータで全生徒三十人分の端末を監視していなければ気づけないはずなのだ。それにコミックでも開いていたのならともかく、似たようなテキスト画面の中から一つだけページの違うものを見つけ出すなんて、嫁の粗を探す姑のような執念だ。
 地学の先生のように、クラス全員がそれぞれ好き勝手に放送番組を見たり、チャットでお喋りしたり、通信ゲームで遊んだりしていても、構わず授業を続けてくれたほうがよっぽど気が楽なのに。そもそも授業はログを取っておけば、後でいくらでも見ることができるのだ。試験前に目を通しておけば充分だろう。
「それとも授業など聞く必要がないほど理解しているというわけかしら?」
「……いえ」
 立場上、まさか「はい」とは言えない。この人は生徒が口ごもるのを見て密かに愉しんでいるのではないかという疑惑に駆られる。
「そうでしょうね。ところで、あなたはフィルターを持っていますか?」
「え……?」
「防護フィルターよ。人体を保護するための。地球人が他星に出る時は携帯が義務づけられているけれど、火星人はどうなのかしらね?」
「いえ……持っていません……」
 クラス中の視線が自分に集中しているような気がする。僕は唇を強く噛みしめた。
「それがなぜなのかわかる?」
「……検疫を、行うからです」
 ミス・グラントは満足げに頷いた。その表情に嘲笑が混じって見えるのは、気のせいではないだろう。彼女は、今度は周りをゆっくりと見回す。
「いいですか、皆さん。このように火星から地球に来る場合、宇宙検疫で滅菌消毒すれば衛生的な問題を取り除くことができます。けれど、逆に地球から火星へ出向く場合、防護フィルターをつけなければ、どんな未知のウイルスに感染するかわからないのです。これでフィルターが必携になっていることも理解できますね?」
 くすくす、と失笑がどこからともなく漏れ聞こえる。ミス・グラントは授業という形をとって火星人の生徒を嘲弄するのに成功したのだ。
 そもそも火星人生徒の受け入れに、学校側も初めはずいぶん渋ったのだという。仕方がない。火星人が特に地球では疎まれていることは変えようのない事実なのだ。もちろん、火星人は入れられない、とあからさまな拒否はできない。だから「他の生徒によくない影響を与えかねない」というような、迂遠な台詞を延々と繰り返したらしい。だが結局、滞在は一時的なものだから、と父さんが強く押し切る形で僕の転入は決定した。
 そう、僕が地球に転校してくるはめになったのも、父さんの仕事の都合なのだ。だから父さんが地球での仕事を終えれば、僕はまた火星に戻れることになっている。要するに転校というより短期留学のようなものだ。
「先生、検疫ってどうやるんですかー?」
 誰かがぶしつけな質問をする。ミス・グラントは眼鏡越しにちらりと僕に一瞥をくれた。
「後でラスキンに訊きなさい。きっと詳しく教えてくれるでしょう」
 失笑がじわじわと教室を満たしてゆく。悪意と嘲笑が渦を巻いて、眩暈に似た感覚が襲ってくる。
 意識を保とうと、僕は爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
 こんな奴らの言うことを気にしたら負けだ。
 父さんの仕事さえ終われば、僕はここから出られるのだ。それまでに怒ったりわめいたりして、みっともない姿をさらけだす必要もないだろう。こんな奴らにいちいち取り合ってやることはない。そもそも同級生の名前さえろくに知らないのだから。
 その時、僕ははっとして顔を上げた。
 クラスの誰もが僕を嘲るように横目で見やる中、唯一まっすぐに見つめてくる視線があった。
 ソニア・シェリー――確かそう名乗っていた彼女だった。僕とまともに口をきいた初めての同級生。その彼女が、嘲るでも哀れむでもない、まっすぐな瞳で僕を射貫く。
 なぜ僕にこんな目を向けてくるのだろう。
 なぜ僕に声をかけてきたりしたのだろう。
 そんなことを考えている間に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。



 親子で摂る夕飯の時間はいつも二十二時を回る。父さんの帰りがよその父親よりも遅いせいだ。父さんは先に食べておけと言うが、多忙な父さんと顔を合わせることなど滅多にないので、たまに帰ってきた時ぐらいは一緒に食卓を囲むのが子の勤めだと思っている。
 そういう事情で僕はその夜、空腹を抱えたまま父さんの帰宅をじっと待っていた。
「リオ。学校ではちゃんとやっているのか?」
 ようやくテーブルに着いた父さんの放った第一声がそれだった。実に当たり障りのない、平凡な話題だ。
「大丈夫だよ。ちゃんとやってる」
 僕もまた決まり文句を返す。それでも「うまく」とは言っていないのだから、少なくとも嘘ではない。
 いつもならここで会話が終了するはずだった。ともに食卓を囲むといっても、和やかなひとときを過ごしているわけではないのだ。
 我が家は親一人子一人の父子家庭。父親は仕事で滅多に家に寄りつかず、息子とはすれ違った生活を送り、互いに言葉を交わす時間もない――
 こう並べていくと、あまりに型通りな「冷えた家庭」像で笑えてしまう。それでも我が家はまったくこの通りなのだ。
 とはいえ僕は、別に一家団欒したいわけではない。恐らく父さんもそうだろう。夕食に同席するのは、一応親子であるということを確認する儀式のようなものだ。そうでもしなければ、まったく他人と変わりなくなってしまう。二人とも内心は面倒がっているけれど、とりあえず家族という体裁を保っているだけなのだ。だから心暖まる会話が食卓で交わされるはずもない。
 しかし、この時は珍しく父さんがさらに親子の会話を続ける意思を示してきた。
「新しい学校で友達はできたのか?」
 おかしなことを訊くものだと思った。他の家庭では、この程度の会話は珍しくもないのかもしれないが、いつも忙しいが口癖の父さんには、こんな台詞を吐く余裕さえなかったのだ。
「何でそんなこと訊くの?」
 あえて「いない」とは言いたくなかった。別にそれは父さんを悲しませたくない、などという親孝行な発想によるものではなく、単にそう口にするのが悔しかっただけなのだ。だが父さんは、そんな子供の強がりに注意など払っていなかった。
「クラスにシェリーさんという子がいるだろう。名前は確か……ソニア、だったかな。知らないか?」
「し、知ってるけど……」
 思わずどもってしまった。まさか今日、初めて口をきいたばかりの同級生が食卓の話題に上るとは予想だにできなかったのだ。
「実はな、父さんはシェリーさん――その子のお父さんと友達になったんだよ」
「友達って……父さんは地球の人と仲良くなったの?」
「地球だろうと火星だろうと、そんなことは関係ないさ。いちいち区別して考える必要はない」
 それは確かにそうだろう。だが、そう考えられる人間は太陽系の中でも少ない。というのも、火星は衛生上の理由によって地球から様々な制限を受ける、ほぼ植民星状態にあるためだ。地球人は自分より格下の人間と対等につき合おうとはしないし、火星人は自分たちの権利を侵す奴らを憎んでいる。だから、その両者が「友達」になったと聞けば、驚くよりほかないのだ。
「それでな、今度シェリーさんの家族を夕食に招こうと思うんだ」
「……夕食?」
「そうだ。だから、今のうちにシェリーさんの娘さんと仲良くしておけ」
「え? ちょっと、父さん!?」
 どうやらこれは相談などではなく、宣告らしかった。とっくに父さんたちの間では話が決まっていたのだろう。要するにこれは事後承諾というやつなのだ。
 僕は溜息をつきながら、ソニア・シェリーの顔を思い出していた。
 何もかも見透かしているような、まっすぐな瞳。毅然として物怖じしない、すっと伸びた背中。
(――情けないわね、リオ・ラスキン)
 彼女に会えば、またあの瞳で叱咤されるのだろうか。決して反論を許さない、よく通る落ち着いた声で。
 今度は何と言えばいいだろう。そんなことを考えながら、僕は味がなくなるまでサラダ菜を噛み続けていた。少なくとも、消化不良にはならずに済んだだろう。



>>next

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送