1st movement  赤い墓場
-scrap grave-


 その船は定期的に現れた。
 だが、決して荒涼とした赤い砂の大地に降り立つことはなかった。ただ上空から荒野を見下ろしたまま、無彩色のコンテナを落としてゆく。人を乗せることも、運ぶこともない。その船が積むのは屑ばかり――もはや使用不可能となった金属類だ。そして、それは人の住めない地上の一区域に定期的に運ばれる。
 そうして生まれた廃物の山、生きるもののない、密やかなその場所を指して人は呼ぶ。
 ――屑鉄の墓場(スクラップ・グレイヴ)と。

 廃物積載船(ガベージ・シップ)から切り離されたコンテナ二十個は火星の終末場(ターミナル)に落下した。その軌道が計算通りであることを確認すると、船は早々に飛び去った。
 これまでに、そしてこれからも何千回、何万回と繰り返される行動パターンの一端だ。操作はすべて電子頭脳により、滞りなく行われる。よって業務は円滑にこなされるが、その代わり生物特有の非論理的予測能力――すなわち勘、が働くはずもなかった。
 いつものように運ばれてきたコンテナだったが、その一つは廃棄物ではなかったのだ。とはいえ、落下までは何の問題もなかった。そのために船は異常なしとの判断を下して去ってしまったのだろう。
 問題は着陸直前のことだった。つまりコンテナの蓋が開き、中から物体が飛び出たのだ。
 その物体は、やや重力に逆らいながらも地上に落ち、大地を削り取りながらようやく停止した。

「ああもう、なんてひどい着地だよ!」
「仕方がないだろう。来る時に随分ダメージを受けたんだから。あれでもまだ舵がきいたほうだ。地上に真っ逆さまに落下しなかっただけでもよかったと思うんだな」
 コンテナから飛び出た物体――小さなシャトルから這い出た影がそのような音声を次々に発した。それらはどうやら人間の形をしているらしい――というのも、その二つの影は旧式の大仰な与圧服を着用しているせいで、にわかには生物と判断しがたいからだ。
「まあ何はともあれ、ようやく箱詰めから解放されたってわけだ。別に閉所恐怖症じゃないけどさ、あんな窮屈な思いをしなくていいってのは嬉しいよな、やっぱ」
「あまりはしゃぎ過ぎるなよ、エト。重力があるんだから、今まで通りの感覚で動き回ると怪我をするぞ」
 たしなめられて、彼は多少憮然とする。
「わかってるよ。それよりフィオ、ここから出られそうか?」
「これを見てわからないか?」
 溜息をつきながら、彼は足下に転がっている小型シャトルを軽く叩いた。とはいえ、すでにそれは乗り物としての機能を果たせそうもなく、彼らを無事に着陸させたのがほとんど奇跡だった。
「それじゃあ、どうするんだよ。このままじゃスクラップの仲間入りするだけだぞ?」
「だから、スクラップあさりをするしかないだろう。とりあえず破損した箇所の部品ぐらいは替えないと、どうしようもない」
 そっけなくそう返すと、フィオは踵を返して廃棄物の山を踏み分けていった。背中にエトの鋭い二本の視線を感じたが、いちいち取り合っている場合ではない。早いうちにまだ使えそうな部品を探し出し、シャトルの体裁を調えてやらなければならないのだ。
 幸いこの火星の終末場(ターミナル)には、それだけの材料が揃っている。というのも、廃棄物とされているこのコンテナ群の中身はみな、再利用のために「資源ゴミ」としてここに送られているからなのだ。
 かつて火星が太陽系の中で最も繁栄していた時代の習慣が今なお続き、その結果が堆く積み上げられた「屑鉄の墓場(スクラップ・グレイヴ)」だ。現在の火星の生産力では、日々増えゆく資源ゴミの処理に追いつけない。その余剰分が火星地表の非居住区域に集められ、再利用されないまま放置されているのだった。

 フィオは、古いコンテナを丹念に調べ始めた。渋々ながらも、エトもそれに倣う。この終末場(ターミナル)では墓荒らしならぬスクラップあさりが横行し、めぼしいものは端から姿を消してゆく。要は早い者勝ち。そもそもゴミ捨て場になど、治安が存在しようはずもないのだ。
 とはいえ、あさり屋どものシャトルを頂こうというのは得策ではない。この広大な墓場では互いに顔を合わせることも少なく、また会ったとしても戦闘になれば勝ち目はないだろう。さてどうしたものかと考えながらもスクラップを掻き分けている最中、それは彼の耳に――ではなく、思考中枢たる頭脳に直接響いた。

 ――…助……けて……

(何だ?)
 フィオは辺りを見回した。だが、発信源は定まらない。

 ――助けて……お願……


 助けて!


 声が一段と大きさを増す。頭に直接響く音の乱反射によろめきつつも、彼は今度こそ、発信源をキャッチした。
「そこか!?」
 フィオは両手で土を掘り起こし始めた。雨の降らない火星の表面は、乾いた赤い砂に覆われている。そのため大地は硬くないものの、土を掘るとなれば重労働だ。それに旧式の与圧服が、そのような作業に適した設計をされているはずもない。だが、それでもフィオは、にわか発掘作業を黙々と続けた。

 ――ここよ……早く、気づいて……

 声が段々と近づいてくる。実際には頭の中で聞こえていたのだが、より鮮明に、またより強くなってくる。
 確信と焦燥が募る。――そして。
 スーツを隔てた向こうで、指が硬いものに触れるのを感じた。赤い砂の裂け目から顔を覗かせるのは、褐色がかった鉄色の片鱗。逸る思いを抑え、フィオは通信機に口をあてる。
「エト、早く来い。掘り出しものだ」
 彼は落ち着いた声でそう告げた。実際には、まだ掘り出してはいなかったのだが。

「何だよこれ! どうしたんだ!?」
 通信機で呼ばれたエトがフィオのもとへ駆けつけた時、発掘作業は順調に進んでいた。赤い地面から現れた金属の面積がだいぶ広げられていたのだ。
「船だ」
 簡潔を極める返答に、エトはフェイスプレートの中で目を丸くする。
「船ぇ? でも何だって土ん中に埋まってるんだよ!」
「僕にもわからないが、取り敢えず中に入ってみる。うまくいけば動くかもしれない」
「中に入るって……」
 言いかけたエトを制するように、フィオはその場に片膝をついた。船殻――それも天井には緊急用のハッチがある。彼はエトが来るまでの間、それを探し当てていたのだった。
 フィオはハッチのグリップに手をかけ、おもむろに引っ張り上げた。すると、赤い砂塵を撒き上げて、小さな扉は鈍い音とともに開いた。
「おいおい、力を加減しろよ。壊れたら元も子もないだろうが」
 フィオの極めて原始的かつ乱暴なやり方に、エトは口を尖らせた。フィオは痩身で、いかにもひ弱そうに思われがちだが、実のところ並々ならぬ膂力の持ち主なのだ。エトであれば、ハッチをこじ開けるどころか一センチでも持ち上げることは不可能だったろう。本来なら強電磁石を使って開けるような代物なのだ。
「壊れたら直せばいい」
 まあそれもそうだよな、と思い、エトは口をつぐんだ。何しろフィオは、こと機械に関しては最高という名に値するスペシャリストなのだ。門外漢の人間が、あれこれ言えるような立場ではない。そんなことを考えているうちに、フィオはエトの目の前でハッチから勢いよくダイビングした。
「え? おい、ちょっと待てよ!」
 慌てて後に続こうとハッチから覗き込んだエトだったが、中から厳しい声が上がった。
「二人とも入ってどうするんだ。エトは周りを見張っていてくれ」
 有無を言わせぬ強い口調に、エトは反駁する意思を失った。憮然としつつも黙って引き下がるよりない。仕方なく彼は、赤い砂を被った空のコンテナの傍に腰を下ろし、ゆっくりと背を預けた。
 今は待つしかないのだ。フィオならきっと、うまくやってくれるだろう。――彼をこの星まで導いてくれたように……。



 一方、フィオは真っ暗な船内を歩いていた。とはいえ、まったく見えないどころか暗視カメラで内部の様子は隈なく見渡せる。どうやらそれほど大きな船ではないようだ。定員数名の小型船といったところだろう。
 フィオは操縦室らしい船室の扉に手をかけた。機能が停止しているらしく、手動で開けなければならない。ハンドルを回しながら、フィオはふと気づいた。先刻、あれほど頭の中に響いていた声は、今はぴたりと止んでいる。その代わり何かの存在――確かにそこにいるという感覚だけが、ますます鋭敏になってくる。まるで人の意識の末端に触れてでもいるような――
 扉が、かすかな軋みもなく開いた。薄暗い白黒の視界の中で、フィオは制御盤(コンソール)に迷わず向かう。
 パワーオフ。船内のすべての電力系統――動力炉はもちろん、船への命令系統の中枢となるメインコンピュータすら凍ったままだ。フィオは手を伸ばし、スイッチを入れた。
 パワーランプが点灯する。オレンジの点滅、そしてグリーン――良好のサイン。ファンの回転音が響く。船が息づき始めたのだ。
 機械の精一杯の呼吸音を耳にしたその時。

「ありがとう」

 フィオは一瞬、身を固くした。
 その声はどうやら女性のものらしかった。だが、驚いたのはそんなことではない。つい先程までとは異なり、頭の中ではなく聴覚を通じて聞こえてくる声。すなわち、それは外界から発せられたということになる。無論、そのほうがはるかに理に叶ってはいるのだが。
「誰だ!?」
 フィオは素早く周囲を見回した。だが、暗視カメラに映る人影はなく、生体反応もない。彼は訝しんだが、それも束の間のこと。すぐさま、その声の主に思いあたった。
「……この船のAIだな?」
 メインコンピュータの機能を支配する人工知能は、人間によって与えられたとはいえ、擬似人格と呼べるものが備わっている。自分で思考し、判断し、行動することができる。当然、対話も可能だ。
「正確には違うけど、今はそうね」
 AIの返答は不明瞭なものだった。どういう意味かと問いかけたフィオだったが、相手の態度はそれ以上軟化することはなかった。
「そんなことより、早いうちにこの船を地上に乗せてくれないかしら。地下に潜ったままじゃ外の機能が何も使えないのよ。説明はその後でゆっくりとするわ」
「わかったよ。でも、そのためにはシステム全部を復旧させなきゃ駄目みたいだな」
 フィオの溜息混じりの返答に、AIは少なからず驚いたようだった。
「どうして!?」
「気づかなかったのか? 今、すべてのシステムはストップしたままだ。つまり、メインコンピュータとの接続を遮断されているんだよ。対話機能だけは何とか無事に残されていたみたいだけどね」
「そんな……」
 AIは落胆したようだった。たとえ様々な感情パターンを予め設定されているにしても、その人間臭さにフィオは慰める必要を感じた。
「とにかく地上に上がるのは手動でやってみるよ。復旧はその後だ。それでいいね?」
「――ええ」
 その声は安堵のためか、多少和らいだ。
 たとえそれが、機械によって造られた声だとしても。



 エトは赤い大地に腰を下ろしたまま、広大な空を眺めていた。
 現在の時間帯は夜。明かりもなく、辺りは真っ暗だが、彼は不安を感じはしなかった。同じ闇でも宇宙空間の闇とは違う。満天の星々が放つ輝きは、地上にほのかな光をもたらしている。彼は星図に触れる機会がほとんどなかったため、どこに何の天体があるかなど、まったく見当もつかない。それでもなお、彼は探してしまう。肉眼では決して見えるはずのない、捨ててしまった故郷の在り処を――
 どれだけ時が過ぎただろうか。フィオはいっこうに戻ってくる気配がない。彼に限って何かあったとも思えないが、それでもやはり気にかかる。どうやら近づいてくる者もいないし、少しの間なら見張りを休んでも大丈夫だろう。エトは立ち上がり、様子を窺いに行こうとした。まさにその時のこと。
 地面が揺れた。
 地下から何かに押し上げられるような震動。
 エトは蒼ざめたまま周囲を恐る恐る見回した。地揺れはなおも続く。まるで彼の不安を揺さぶるように。何しろここには無秩序なまでに積み重ねられた、不安定な廃材が山となっているのだ。万一、均衡を崩しでもしたら、彼は一瞬にして伸されてしまうことだろう。

 戸惑うエトの前に、それは出現した。
 赤い大地が隆起し、大量の砂を地表に吐き出してゆく。砂は舞い上がり、煙となって辺りを埋め尽くす。赤い砂塵の晴れ間から、彼はようやくそれを目の当たりにした。
「船……」
 褐色がかった、鈍い銀色をした小型の宇宙船と、タラップから降りてきた人影とを視界に捉えた時、エトは思わず駆け出していた。
「フィオ! 凄えよ、本当に船なんだな? これで俺たち、本当に自由になれるんだ!」
 エトは今にもフィオに抱きつかんばかりだった。だが、旧式の与圧服の構造は抱擁には向いていなかったため、喜びのスキンシップは肩を叩く程度にとどまった。
「確かに船だよ。でもまだ僕たちは自由の身になったわけじゃない」
「……何だよ、それ」
「とにかく乗れ。話はそれからだ」
 不審も露なエトがタラップに一歩を踏み出すと、
「搭乗員が他にもいるの?」
 突如、降って湧いた女の声に、エトは不意を突かれた。思わず辺りをせわしく見回す彼の隣で、フィオが声に応対する。
「そうだ。僕の同行者だから心配ない」
 落ち着き払ったフィオに、身元を保証された同行者は落ち着きなく問う。
「何だよ今の。俺たちの他に誰かいるのか?」
 するとフィオは頷く代わりに、立てた親指で後ろを差した。
「――この船さ」