夢かしこ

 もしも億万長者になったら?
 車を買う、家を建てる、旅に出る、遊んで暮らす――そんな都合のいい未来を夢想しながら、人は宝くじ売り場に足を運ぶ。夢を買うのだと言いながら。
 夢の費用は人によって様々だ。文字通り一攫千金を狙う者もいれば、かなりの犠牲を払う者もいる。
 かくいう僕も、一攫どころか片手ではつかみきれないほど厚い束のくじ券を抱えていた。自分ですべての番号を確認するのは骨が折れるので、売り場の機械に任せる。大量の紙束を渡された売り場のおばさんは、その厚みに眉をひそめ、次に僕の顔を見て顔をしかめた。若造のくせにどうしてこんなに無駄遣いするのだ、とおばさんの顔に書いてある。無理もない話だ。僕自身、ついこの間まではこんなに散財できるような身分ではなかったのだから。だが、今ではこうして着実に財を積み上げつつある。
 機械が番号を一枚ずつ読み上げてゆく。液晶画面に取得額が表示される。下一桁の三百円ずつ加算されてゆき、そして、
「――おめでとうございます。こちらが高額の当選券になります」
 カウンター越しにおばさんが嫌々ながら、うやうやしく一枚の券を差し出す。液晶画面に表れた数字に、僕は思わず渾身のガッツポーズを披露した――


「こら、起きろ。脳が溶けるぞ」
 ぐらぐらと頭を揺さぶられ、僕は現実に引き戻された。
「……邪魔しないでくれ。僕は夢に生きる男なんだ」
「何を言ってるんだ。あまりに寝過ぎて脳細胞が死滅したのかい」
「失敬な。睡眠学習中だったんだ」
 そう反論すると、ユキオはへえ、と気のない声を返した。軽くあしらわれたような気もするが、まあいい。いつものことだ。
 僕はのろのろと立ち上がり、辺りを見回した。チャイムにも気づかないほど熟睡していたらしく、広い講義室は閑散としている。もちろん睡眠学習の効果は得られず、講義内容など露ほども覚えていない。どうやら僕の集中力や忍耐力は入試の時に使い果たしたようで、大学に入った今では完全に摩滅しきっている。だからこそ成績優秀なユキオに揶揄されるのだが。
 急ぎ足でたどり着いた学生食堂は、すでにごった返していた。惰眠をむさぼっていたせいで出遅れてしまったのだ。学食は狭くて座席数が少ないため、正午過ぎになるとイモ洗い状態になる。学食の増築はこれまで何度も要求されているのだが、予算がつかないのだという。ああ、貧乏は嫌だ。
「貧しい食生活だな、ミキちゃん。栄養が脳まで行き渡らなくなるよ」
 何とか人混みを掻き分けて昼にありついた僕に、向かいの席に着いたユキオが溜息を漏らした。
 ちなみにユキオは僕のことをミキちゃんと呼ぶ。名前がミキヒサだからなのだが、本当は人前でそう呼ばれるのは少々恥ずかしい。だがユキオはいたく気に入っているらしく、呼び方を改めようとしないのだ。
「哀しき貧乏学生だからな」
 ちなみに今日のメニューは素うどんだ。一杯一六〇円。懐寒い学生の強い味方である。
「じゃあ、うちのキツネを里子に出そう」
 そんなことを言いながら、ユキオは自分の蕎麦から油揚げを二枚、箸でつまんで僕のどんぶりに投下した。なお、ユキオはキツネ蕎麦にチキンカツ、きのこサラダという少々変わってはいるが品目の多い取り合わせなので、キツネ二枚ぐらいではもらいすぎということはない。
 箸を持った両手を合わせてから、ありがたく口に放り込んで、僕は気づいた。
「……なるほど。気前よく分けてくれたと思ったら、そういうわけか」
「匂いでわかったからね」
 別に油揚げが腐っていたわけではない。ただ、異様に甘く味つけされていたのだ。決しておいしいとは言えないが、食べられなくもない。それに金欠の身では贅沢も言えないので、そのままおとなしく飲み込んだ。
 だが、僕とは違ってユキオの舌は甘いものを決して受けつけない。防衛本能が働くのか、嗅覚もかなり発達していて、ちょっとでも甘い匂いを嗅ぎつけると絶対に口にしないのだ。だから食べる前にこうして僕に押しつけたのだろう。
「ちゃっかりしてるよなあ、まったく」
「しっかりしている、の間違いだろう」
 僕のぼやきをすっぱりと切り捨てる。機嫌が悪いわけでも怒っているわけでもなく、これが普段の状態なのだと、僕は浅からぬ付き合いの中ですでに学んでいる。
「ところでミキちゃん、さっきはどんな夢を見ていたんだ?」
「あ……ああ、あれね。まあ、そんな大した夢じゃないさ」
 ユキオの唐突な質問を、僕ははぐらかそうとした。宝くじで億万長者になったなどという俗物っぽい夢は、語るにも恥ずかしい。しかし、ユキオは追及の手をゆるめようとはしなかった。
「そうかな。少なくとも寝ながらガッツポーズをするなんて滅多にないと思うけど」
「えっ、嘘っ!?」
 そういえば夢の中で、嬉しさのあまりガッツポーズをとった気がする。しかし、まさか本当に体も同じポーズをしていたなんて。他にも誰か見ていたのだろうか。イビキや歯ぎしりよりもむしろ恥ずかしい。
 結局、ユキオの尋問に耐え兼ねて、僕は講義中の夢のあらましを語ることになった。
 そして、聞き終えたユキオの一言。
「なるほど、まさに現金な夢だね」
「どうせ僕は現金な人間だよ」
「けなしたわけじゃないんだけどな。どうして悲観的に解釈するかなあ」
 誰のせいだ、誰の。
 と言う代わりに、僕は黙っていようと思っていたことをつい吐き出してしまった。
「言っておくけどな、単なる現金な欲望に結びついただけの夢じゃないぞ。こいつはシリーズものなんだからな」
「シリーズ?」
「そうだ。もう一か月ぐらいずっと続いてる。初めの夢ではスクラッチのくじを二十万円分買って、それで百万円が当たったんだ。二十万なんて大金、もし本当に持ってたらくじ券にするはずもないけどな……っておい、何で笑ってんだよ」
「いや、ちょっと……二十万といったら千枚だからね。千枚のスクラッチをちまちまと削ってる姿を想像したら、おかしくて」
「笑ってないで聞いてろよ。これからが大事なんだから。それで、今度はその儲けを元手に馬券を買ったんだ。すると三連複で大勝。万馬券とまではいかなくても、さらに儲けを増やしたんだ。こんな夢が毎晩のように続いて――」
 ありとあらゆるギャンブルに手を出して、面白いように勝ち続けた。一度の獲得額も次第に増えてゆき、財産は積み上がる一方だった。
「――そして、ついにジャンボ宝くじで一等。前後賞合わせて三億円を手にしたわけだ」
 僕の台詞を先回りしたユキオの顔は、最初に笑っていた時とは打って変わって、驚くほど真剣だった。
 いったいどうしたというのだろう。いくら珍しい夢だとはいえ、滅多なことで動じるような奴ではないはずなのに。そんなことを考えていると、ユキオは突如、言い放った。
「買った」
「……は?」
 何を言い出す気だ。しかし僕に口を挟む余地すら与えず、ユキオはさらに続けた。
「その夢を買うと言ったんだ。料金は今日の昼代でいいかな。おつりはいらないから」
「お、おい、ちょっと待てよ」
 昼代にしては高すぎる。ユキオが財布から取り出したのは、近頃ではすっかり見なくなった二千円札だったのだ。
 いまだにバスの両替機に入れれば吐き戻されるような、使い勝手の悪い紙幣をていよく押しつけられたような気もするが、多分気のせいだろう。うん、気のせいだ。
「いいから黙って受け取ってくれ。代わりにその夢を譲ってもらうから」
「それにしても、譲られたって続きの夢を見られるわけじゃないだろ。だいたい、金儲けといっても夢の話なんだぞ」
「別に構わないよ。いずれにせよ、ここで昼代を奢ることには変わらないよ。どうする?」
「わかったよ、やるよ。だけど本当に宝くじを買って外れても僕を恨むなよ」
 投げやりに言い放つと、ユキオは小さく笑った。
「別にギャンブルに手を出す気はないよ。ちょうどいい、これからちょっと変わったものが見られるけど、一緒に来るかい?」
 ユキオの言動はまったく腑に落ちなかったが、もったいつけた言いように好奇心を抑えることはできなかった。


 実を言えば、僕も正夢になることを信じなかったわけではない。むしろ積極的に信じたかった。だが、現実は人間に対して冷たく、現代版わらしべ長者になることはできなかった。
 そもそもこの夢では最初の投資額が二十万円と、貧乏学生にとってはかなりの大金なのだ。とても夢の通りにはできない。
 それでもと試みに数枚のスクラッチを買ってみたが、六等の二百円すら当たらずじまい。正夢どころの話ではない。かえって散財してしまった。
 こんな調子だから、別にユキオに夢を譲っても構わないと思ったのだが――
 そのユキオはというと、僕を従えてどんどんと人気のない、寂れた路地裏に入っていった。たまに見かける人間といえば、ビールケースに腰掛けて一服しているおじさんぐらい。しかも、うさん臭げな視線を向けてくる。だがユキオは慣れているのか、まったく動じず見向きもしない。
 僕はどこへ連れていかれるのだろう。不安がじりじりとせり上がってきた頃、ユキオはようやく一軒の店の前で足を止めた。
 いや、店だと気づいたのはユキオが足を止めたからだ。その店はそれほど小さく、戦前から建っていそうなほどボロかった。
 ドアを押し開けると、頭上で鈍い金属音がした。どうやら客が入ってきた時に鳴る鈴のつもりなのだろうが――なぜかドアの上には中華鍋とフライパンが吊るされていたのだ。それも焦げている。
 怪しい。怪しすぎる。
 そのうえ狭苦しい室内は、むせ返りそうになるほど強く焚きしめたお香の煙が充満している。
 帰りたい。痛切に僕はそう願った。
 いたって平然としているユキオを尻目に、誰かいないのかと店内を見回すと、何やら薄汚れた置物が目に入った。埃をかぶった壺の脇、座布団の上にちょこんと座ったその人形らしきものに近寄ると――
「おいでなされ。お客人」
「わっ、喋った」
 僕は危うく腰を抜かしそうになった。置物かと思ったそれは、生きた老婆だったのだ。人にしてはあまりに小さい。ろくに身動きもしない。さらに室内が薄暗いために、生身の人間だとすら気づかなかったのだ。
 老婆は呆然としている僕になど目もくれず――というより深い皺に埋もれて、目がどこにあるかもわからなかったのだが――ユキオのほうを向いた。
「いかがなされたかな」
 そう問われると、ユキオはさっき僕が学食で話した通りの夢を、まるで自分が見たかのように滔々と語り始めた。
 ユキオはどういうつもりなのだろう。
 とはいえ、一度譲ってしまった以上、ここでそれは僕の夢だと所有権を持ち出すのも気が引ける。まあ、そもそもこんな陰気くさい店で夢の話を他人に聞かせてやる気も起きないが。
 ユキオが話し終えると老婆はふむ、と頷いて、しわがれた声を押し出した。
「卦も悪しからず。まことの瑞夢なるな」
「それはよかった」
 ユキオは表情をほころばせた。何がよかったのか、さっぱり僕にはわからないが。
 すると老婆は、文机から取り出した和綴じの名簿のようなものを確認すると、明日また来るように言い置いて、店の奥に引っ込んでしまった。
「な……何なんだよ、いったい」
「明日来ればわかるよ」
 ユキオはそれ以上何も言わなかった。こういう時は、いくら問い質しても絶対に口を割らないのだ。それを知っているので、仕方なく僕は翌日になるのを待った。深まる謎に眠れなくなったので、羊の代わりに疑問符を数えて寝ることにした。

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