夢かしこ

「ユキオのお陰で寝不足になった」
 翌日、開口一番にそう文句を言ったのだが、ユキオはまったく意に介さなかった。
「昼間に睡眠をとっているからだね。早く悪循環を断ち切らないと、そのうち昼にしか眠れなくなるよ」
 文句をつけた僕が馬鹿だった。
 そうしてこの日もまた、僕はユキオに連れられて路地裏の迷路のような細い道を歩いて例の店に入った。
 店内は昨日よりもさらに狭苦しくなっていた。もともと六畳ぐらいしかない部屋に、がらくたが所狭しと散乱していたのに、今日はさらに人口密度まで跳ね上がっていたのだ。
 十人近いおじさんやおばさん……さらには老人までがひしめき合い、居心地悪そうに立っている。しかも薄暗い室内だというのに、ほとんどの人間がサングラスをかけているのだ。中にはマスクをかけた者までいる。
 顔を隠しているのだ。それ以外に考えられない。
 しかし――こんな怪しげな店で、怪しすぎる格好をした大人たちが、何をしようというのだろう。恐らく、老婆が見ていた名簿にリストアップされている人たちなのだとは思うが、それにしても不気味だ。
「さて、それでは始めようかの」
 老婆はそう言うと、昨日見た埃だらけの壺を台の上に差し出した。それが開始の合図。中年老年の男女が、狭い室内で次々に手を挙げる。
「五千円」
「一万」
「三万円」
「三万五千」
 数字がどんどん大きくなる。これはどう考えても――
「オークション……だよな?」
 僕は、隣で傍観者に徹しているユキオに訊いた。こんなちっぽけな店で、なぜオークションを? しかも目の前に置かれているのはただの汚い壺なのだ。たとえ芸術的な価値があるにしても、どうしてこんな場所で行われているのだろうか。
 だが、ユキオは人差し指を口にあてて沈黙を促すだけで、疑問に答えようとはしなかった。
「五万」
「七万円だ」
「八万五千よ」
 オークションはさらに続く。値が次第につり上がり、十万を突破した時、目出し帽をかぶった最高に怪しい男が高々と手を挙げ、宣言した。
「それは初め、二十万だったんだろう。だったら私は二十万出そう」
 その瞬間、落札は決定した。それまで我先にと手を挙げていた人々が静まり返る。誰もこれ以上競おうとはせず、意気消沈した面持ちで店内から出ていった。
 強盗のような格好の男は、何か紙にサインをすると、汚い壺を風呂敷に包んで大事そうに抱えていった。
 こうして謎のオークションは、わけのわからないうちに終了した。最後に男がサインした紙を、なぜかユキオが受け取って、僕たちもまた店を後にした。


 ユキオが事の全容を明かしたのは、それから二週間近く経ってからのことだった。
「おめでとう。ミキちゃんの夢は当たったようだよ」
「……何のことだ?」
 訝しげな僕の視線を気にも留めず、ユキオはゆっくりと口を開いた。
「あの時に落札した男の人、ミキちゃんの夢の通りにスクラッチくじから始まって、着実にお金を増やしているらしいよ。実際に千枚も削ったとしたら、相当な苦労だったろうけどね」
「ちょ、ちょっと待てよ。落札したのって、あの汚い壺だろ? 壺と夢と何の関係があるんだ?」
「あれは夢の詰まった壺なんだ」
「……はあ?」
 幸福を呼ぶ壺とか、開運のハンコとか、その類の代物かと思っていたら、ユキオが先回りして説明した。
「オークションの前日、店のお婆さんに夢の話を聞かせたろう? あの時、脇にあった壺にミキちゃんの夢が詰められたんだ。だから壺を落札した人が夢を買ったということになる」
「なっ……そんな、夢なんか金を出して買ってどうするんだよ。だいたい売り買いできるような代物じゃないだろうが」
 いい加減、驚いたり呆れたりすることにも疲れてきた。半ば投げやりにそう訊くと、ユキオは逆に問い返してきた。
「ミキちゃんはウジシュウイを知らないのかい?」
「は? ウジ?」
「『宇治拾遺物語』。鎌倉時代の説話集のことだよ」
「知らん」
「ふんぞり返って言うことじゃないだろう。それでも現役の学生か?」
「専門はフランス文学だからな。で、そのウジが何か関係あるのか?」
 適当に受け流すと、日本古典文学専攻のユキオは、まるで教授のように澱みなく説明を始めた。
「宇治拾遺に『夢買ふ人の事』という話がある。だいたいこんな話なんだ。昔、備中国にひきのまき人という男がいた。まき人が夢占いをしてもらいに夢解きの女のところへ行くと、近くの部屋で別の男が夢解きをしてもらっていた。その話を盗み聞きすると、どうやらその夢は素晴らしい吉夢で、必ず大臣にまで出世するらしい。そこで、男がいなくなった後、まき人は夢解き女にその夢を売るよう頼んだんだ。まき人のほうが吉夢の男より位が高かったから断れなかったんだね。こうしてまき人は夢を上手に買い取った」
「買い取るって……それは横取りって言わないか?」
「そうだよ。そのお陰で、まき人は帝に気に入られ、大臣にまで昇りつめた。一方、夢を実際に見た男は、ろくに出世もしなかったんだ」
 いい国つくろう鎌倉幕府。鎌倉時代が始まるのが一一九二年だから、八百年くらい昔には夢の売買が行われていたわけだ。だが、八百年経った今でも、まだそんな商売が成り立つものなのだろうか。
「それにしても、その話を聞いてる限りでは夢と壺には何の関係もなさそうだけどな」
「そう、実際には関係ないよ。要するに、明確な形が欲しいだけなんだ。目に見えないものにお金をかけるとなると、二の足を踏む人が多いからね。だから壺の中に夢が詰まっているという体裁をとっているだけで、本当は壺でなくても、瓶でも箱でも袋でも何でもいいんだ」
「それじゃ、あの店は」
「夢の仲介屋といったところかな。吉夢だと判断されれば売ることができる。その場合、あらかじめ欲しい夢の種類と希望価格を登録しておいた人たちに連絡が入って、競売になるんだ」
 何だか頭が痛くなってきた。確かにやり方は中世よりも現代的になったかもしれないが、それにしても夢を欲しがる人間がまだ存在するなんて。
「だけどなあ、夢なんていくらでもでっち上げられるんじゃないか? それなら夢を売る奴だけ儲けて、買う方はカスをつかむんじゃあ――」
「そのために夢解きがいるんだよ。あのお婆さんが偽夢だと判断すれば、売り物にはならない。それに、買ってすぐお金を払うんじゃなくて、一定期間を過ぎても夢が当たらなければ払う必要はなくなるんだ。あの時、受け取ったのはその契約書だよ」
 うまくできている。できているのだが、やっぱりどことなく釈然としない。
「……で、あの怪しげな男が夢の通りになったってことは、おまえに金が支払われたんだな?」
「まあね。ミキちゃんのお陰でずいぶん稼げたよ。ありがとう」
 ユキオはにっこり笑ってみせた。それはそうだろう。あの男は二十万円で夢入りの壺を落札したのだ。いくらか差し引かれるにしても、元手が二千円だということを思えば、充分すぎるほどの儲けだ。
「いくらもらったんだよ」
「夢解き料と仲介料を引いて、十万というところかな」
「……あの婆さんも相当がめついな。それで結局、損したのは僕一人ってわけか?」
「別に損はしてないだろう。夢を見るのにお金はかからないからね。もちろん、お礼に何でも好きなもの買ってあげるからさ」
「当たり前だ。もとは僕の夢だぞ」
 僕は憮然と言い返したが、確かにユキオでなければ夢を人に売って儲けることなどできなかったはずだ。横取りされた感は否めないが、一応手数料だと思うことにしてやろう。
 何とか自分自身に言い聞かせてから、僕はぽつりと疑問を漏らした。
「それにしても、一つ腑に落ちないな」
「何が?」
「だってユキオは他人の夢を買って自分のものにできるって知ってたんだろ? それなら何でわざわざ他人に売ったんだ? そのままなら十万以上儲けることだってできたかもしれないのに」
 そう訊くと、ユキオはくすりと笑みをこぼした。
「そうだね。だけどリスクまで背負い込みたくはないんだよ。売ってしまえばそれも一緒になくなるからね」
「リスクって……」
「ミキちゃんの夢はあの時、まだ完結していなかっただろう? 最後がどうなるかわからないものを、買い取る気にはなれないよ」
 僕は内心、ひやりとした。
 確かに僕は夢の最後を話していない。あの競売で買い取られる前夜に完結した夢――儲けた金を元手に金融業を始めたが、ヤクザに乗っ取られた挙げ句、ヤミ金融の一斉摘発に遭って名ばかりの代表者として捕まり、残るは負債と絶望だけになるという結末を。
 あの夢を買った男がその通りの人生を送るのなら、最後には破滅が待っているだけだろう。僕があの夢を手放さなければ、どのみち二十万も投資できないのだから、実現するはずもない。もしかしたら僕が夢の話をしたばかりに、他人を絶望に追いやることになるのではないか――?
 自分の考えに身震いしかけた時、ユキオが再び口を開いた。
「そうそう、宇治拾遺には『夢とる事は実にかしこき事なり』という一文があるんだよ。これは普通、人の夢を取るのは賢いことだという意味に解釈されているんだけど、『かしこし』という語にはもう一つの意味があってね」
 そこでユキオは一つ息をつく。
「『畏し』は恐ろしいという意味なんだ。人の夢を取るのは危険と隣り合わせの恐ろしいこと――そんな警句にも聞こえないかい?」
 僕はユキオにこそ、その言葉がぴったりだと感じた。ちょっと漏らした夢の話を、怪しげな店で金に換えてしまうのだから。まったく抜け目がなさすぎて、こっちは夢を話すことにさえ気が抜けない。
 この時、僕はユキオの朴訥とした少年のような口調にすら、畏怖に似た感情を抱き始めていた。
 だが、そんな僕の不安をよそに、ユキオはのんきなことを言い出す。
「そうだ、このお金でペアリングでも買おうか。それならお互いにとって不利益じゃないしね」
「えっ!?」
 冗談ではない。もしかしたら破滅するかもしれない夢の代金で指輪など買ったら、呪われそうではないか。
 しかし、止めようとする僕になど目もくれず、ユキオは踵を返してさっさと歩き始めてしまった。長い髪を揺らしながら堂々と歩くその足取りに、僕は慌てた。もしかしたら、またどこかの怪しげな店で、何かおかしなことをするつもりかもしれない。その前に断固として阻止しなければ。
 本当に、こんな彼女と付き合っていたら体がもたない気がする。そんな危惧を抱きつつも続いているのだから世話はないが。一つ溜息をつきながら、僕は賢くて畏い谷崎雪緒の背中を追った。



   夢とる事は実にかしこき事なり。
   されば、夢を人に聞かすまじきなりといひ伝へたり。

(『宇治拾遺物語』第百六十五話)


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