サンタが街に降ってくる


 真っ赤な服に真っ赤な帽子、白い大きな袋を抱え、そりに乗って夜空を駆ける。こんな姿を見れば、誰だって一つの名前を思い浮かべるだろう。
 サンタクロース――そう、今の私がまさにそれだ。もちろん、うら若き乙女に白い髭など生えていないけれど……。

 シャンシャンとクリスマスらしい気分を盛り上げる小道具のベルを激しく鳴らしながら、そりは猛スピードで走っていた。
「ちょっと、メリー! もう少しスピードを落としなさいってば!」
 メリーというのは、そりの原動力であるトナカイのことだ。二歳のオスで、猪突猛進なのが玉に瑕。元競争種だったとかいう母トナカイの血を引いて、勢いに乗るとスピードを緩めずに疾走する癖がある。今も、私の制止を聞かずに三軒分の屋根を飛び越してしまった。
「こらっ、どう、どう」
 気性の荒いメリーの手綱を思いっきり引っ張って、私は何とか暴走を止めることに成功した。しかし足は止まっても、私に止められたことが気に食わないらしく、メリーは鼻息を荒げて抗議する。
「何よあんた、私に逆らう気なの? 私が失敗したら、あんただって一緒に怒られるんだからね! 少しは協力しなさいよ」
 私が叱りつけても、メリーは首をぶるぶると激しく振って納得しない。まったく、どうしてこう聞き分けがないのだろう、こいつは。
「しょうがない……少し休憩でもするか」
 まだノルマは半分以上残っているけれど、相棒がこんな状態では仕事にならない。少し頭を冷やす必要があるだろう。いまだ興奮冷めやらぬメリーの手綱を引きずって、私は適当な屋根にそりを下ろすことにした。
 降り立ったのは、古びたビルの屋上だった。元は何かのテナントだったらしいが、半分傾いたままの看板から見るに、貸主が倒産して現在は使われていないらしい。
 私たちの姿は、もともと普通の人の目には映らないが、用心するに越したことはない。何かのはずみで騒ぎでも起こしたら、査定が悪くなることは目に見えている。だからこそ、人気のないビルをわざわざ選んだのだ。その程度の配慮をしなければ、現代のサンタクロースは勤まらない。
「まったく、サンタも楽じゃないよ」
 屋上のフェンスに腰をかけて、私は思わず愚痴をこぼした。
 ぶらぶらと宙に浮いた足の下には、無数の光が瞬いている。夜の闇に抗う人工の光源。クリスマスとなれば、普段はひっそりした通りも電飾でけばけばしくライトアップされる。
 赤緑黄白白白青黄、色がいくつも混じって燃える。光の渦に飲み込まれそうで、私の頭はくらくらする。イヴの夜は、世界が色に満ちている。ばらばらで、派手で、とりとめがないくせに、無数の色彩はたった一つに収束される――「クリスマス」一色に。
 ふう、と息をついて私は空を見上げた。ネオンサインで薄明るく照らされた夜空は、雲一つかかっていなかった。地上がもう少し暗ければ、満天の星を眺めることもできただろうに。お祭り気分に湧き立って、自然の輝きよりも安っぽい光に目を奪われるなんて、地上には無粋な人間が多すぎる。
 ぷうと頬を膨らませて、私は無造作に手を伸ばした。その指先が、厚手の布地の感触を伝える。
 屋上の古びた貯水タンクの脇に、私はそりを停めていた。そして手を伸ばしたのは、そりに積まれた大きな袋。プレゼントが山ほど詰まっていると大勢の子供たちが信じて疑わないその袋の口を開けて、私は中身をひとつかみ取り出した。
 ざらりとした感触。拳の中に握りしめたそれは、人の目に映ることは決してない。
 私はゆっくりと手のひらを開いた。小指から人差し指へと、一本一本丁寧に。すると、折から吹き降ろしてきた風に乗って、それは地上の光の中へと舞い散っていった。
 淡く輝く白い粒。ネオンサインに包まれた人間は気づかなくとも、私の目は見届けられる。頬をなでる穏やかな風が、雪の欠片のような粒を街に降らしてゆくさまを。
「これがホントのホワイトクリスマス……なんてね」
 頬杖をつきながらつぶやく私の背中を、硬いものがぐいぐいと強く押してくる。振り向かなくても、その正体は知れている。
「もう、うるさいなあ。無駄にするなって言うんでしょ」
 メリーはなおも二本の角で背中をつつき、蹄で屋上のコンクリートを蹴って私を急かす。
「はいはい、わかってるって。すぐにお仕事再開するわよ」
 仕方なく、私はフェンスの上から降りた。どうやら競争種の血を受け継いだ熱血トナカイは、少しばかりの休憩で頭が冷えた様子もなかった。これはもう、気が済むまで駆けさせて、へばってペースダウンするのを待つしかないようだ。
 まあ、どのみちサボってばかりもいられないので、そろそろ再開しなければまずいだろう。査定が悪ければ、今後の昇進にも少なからず影響を及ぼしてしまう。本当に、一夜限りの「サンタクロース」業務も楽ではない。
 溜息をついて、私はそりに乗り込んだ。と同時に、待ってましたとばかりにメリーが勢いよく駆け上がる。
 その時、私は重大なミスに気づいた。
「わっ、メ、メリー! ちょっと待ってってば!」
 慌てて手綱を取ろうにも、半分後ろを振り向いた不自然な体勢ではうまくいかない。しかも相手は走ることに情熱を燃やしている最中の熱血トナカイだ。抑えようとして簡単にできるものではないが、事態は悪化する一方だった。
 何と私の背後に積まれた袋から、中身が大量にあふれ出していたのだ。さっき、用もないのに袋の口を無駄に空けてしまったのがいけないらしい。しっかりと閉めておかなかったばかりに、中から出てきた白い粒が風に乗って流されてゆく。
 そしてさらに悪いことに、風向きが変わって追い風が吹き始めたせいで、その粒がメリーのほうへと流れてしまったのだ。
「こらメリー! 吸うな、息をするなー!」
 無茶なことを叫び、慌てて手綱を引いて向きを変えようとしたが、時すでに遅し。荒い息をしていたメリーは、たっぷりその粒を吸い上げてしまったのだ。
「あ、馬鹿……!」
 つぶやくと同時に、がくんとそりは空中でバランスを崩した。人間の目には映らなくても、この世界の物理的な法則から自由になれるわけではない。重力の見えない両腕に引っ張られ、天と地が引っくり返る。
 落ちる。落ちる。落ちる。落ちる――

 衝撃はそれほどひどいものではなかった。サンタとはいえ人間ではないのだから、ビルの屋上の高さから落ちた程度で死んだりしたら、末代までの恥をさらしてしまう。
 それでも、痛みと無縁というわけではない。
「いったぁあああっ……こんの不良トナカイめ……!」
 起き上がるなり、私は「サンタクロース」にあるまじき呪詛の言葉を吐いた。
 これまた特別製のそりは、粉々に砕け散ることはなかったが、先端がかなりひしゃげてしまっている。飾りのベルなど、どこかへ飛んでしまって影も形もない。私物ではないので、口うるさい上部から叱責を受けた上に自腹で修理しなければならないだろう。
 そしてこの惨劇の元凶となったトナカイはといえば、私のすぐそばでガーガーと盛大ないびきをかいて熟睡していた。
「こら、起きろ! 寝るな! 寝ると死ぬぞ!」
 たたいても揺すっても、メリーはちっとも起き出す気配がない。
 確かに仕方のないことではあるのだ。何しろ、あの袋の中に入っていたのはただの白い粒ではなく、「眠りの砂」なのだから。しかし、曲がりなりにも天の生き物であるトナカイが、そんな根性のないことでどうするのだ。
 メリーをたたき起こすことをあきらめ、私はその肝心の袋を探すことにした。
 が。
 一拍置いて、私は驚愕の悲鳴を上げた。
「あああーっ!」
 果たせるかな、袋はすぐに見つかった。すぐ前の屋根の上に。そして、袋の布地はぺしゃんこになっており、大量に詰まっていた中身が消えていることは一目瞭然だった。
「まさか……この家に全部落としちゃったんじゃあ……」
 私たちの落下地点は、平屋の一戸建てアパートの庭だった。「一戸建て」と言うにはあまりに古くて狭く、半ば傾いでいるような安アパートだ。今どき平屋というのも珍しいので、築何十年という骨董品ものなのだろう。
 それでも廃墟というわけではなく、ちゃんと人が生活しているらしい。庭に置かれた物干しに、比較的新しい洗濯ばさみがついている様子から見ても、それはわかる。
 ――弱った。これはかなりまずい。
 本来、何百軒分として用意された眠りの砂を、一軒にすべて注いでしまったらどうなるか。睡眠薬を大量に飲むのと同じことになるのではないだろうか。
 眠りの砂は人工の薬物ではないので中毒にはならないとしても、翌朝きっかり目覚める保証はない。そのまま目覚めなくなったりしたら――始末書どころの話ではないだろう。
「仕方ない……」
 あれこれ考えている暇はない。とりあえず、住人の無事を確かめるほうが先決だ。何事もなければ、厳罰からもうまく免れるだろう。
 腹を決め、私はボロボロの安アパートに勇んで入り込むことにした。

 室内はひんやりと冷え切っていて、外気温とさして変わりないように思えた。寒さ暑さと関係ない身の上とはいえ、地上に降り立てばやはりそれなりに暖かいほうがありがたい。しかしこのアパートは、訪問者に対する優しさを欠片も持ち合わせていなかった。もちろん、不法侵入者としては文句を言えるはずもないけれど。
 それにしても、この家はいったいどんな暮らしをしているのだろう。私は首を傾げざるを得なかった。
 狭い室内に、脱ぎ散らかした服とコンビニ弁当の空パックが積み上げられ、一ダースものビールの空き缶と小銭と柿ピーのカスが畳の上にぶちまけられている。足の踏み場もない、とはまさにこのことだ。
 暗闇の中でもはっきり見える目のお蔭で、見たくないものまで見えてしまう。だから、空き缶に突っ込まれたタバコの吸殻に、真っ赤な口紅がついていることも、こぼれたビールを雑巾代わりに拭き取って投げやられているのが子供用の小さな靴下であることも、わかってしまう。
 ――子供?
 はたと私は我に返った。
 ここには子供が住んでいるのか。だとしたら、あれを――眠りの砂を大量に浴びた家の子供は、本当に無事でいられるのだろうか。
 恐ろしい想像が脳内を埋め尽くす。ぞくりと背筋に寒気が走った、まさにその時。
「……誰かいるの?」
 小さな声とともに室内の電灯がともされた。
 私は思わず悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえた。恐る恐る振り返り、光を得た視界の中にその姿を見つけて、私はいっそう驚愕した。
「あ……あなた、起きてたの……?」
 背後に立っていたのは、六歳くらいの男の子だったのだ。
(――そんなはずはない。あの砂を浴びて、目覚めていられる子供がいるなんて)
 思わず息を呑む私に、その子はちっとも眠くなさそうな目を向けた。
「誰? 何してるの?」
 子供の簡潔な質問で、私は我に返った。
「あ、ええと、私はサンタクロースだよ。良い子にプレゼントを配りに来たんだけど、その、あなたはどうして眠ってないのかな?」
「サンタなんていないよ」
 内心うろたえながらも明るくおどけてみせた私の台詞は、あっさり一刀両断される。
「あのね……クリスマスにこんな格好して家にやって来ても、サンタを信じないの?」
 蛍光灯が切れかかっているのか、室内の明かりはぼんやりとしていたが、それでも人間が色を識別するのに充分な光はある。真っ赤なクリスマス特有の衣装で、正体はおのずと知れるはず――たとえ白髭のおじいさんではないにしろ。そう思ったのだが、子供は首を左右に振った。
「良い子の家に来るなんて嘘だよ。良い子じゃなくっても、みんないっぱいプレゼントもらってるし、良い子にしてたってもらえないもん」
「それは……」
 私は言葉に詰まってしまった。こんな時、何と言えばよいのだろう。
 今の私は確かに「サンタクロース」だ。しかし子供たちが信じる「サンタさん」ではない。だから、この場で大きな袋からプレゼントを取り出して、子供に夢を信じさせるような魔法など使えない。――そんな無力な自分がひどく恨めしい。私の使命は、プレゼントを配ることではないのだから。
 ぼんやりした蛍光灯の下にたたずむ子供は、染みのついたシャツと膝の出たジャージパンツ姿だった。その布地の薄さは、とうてい冬物とは思えない。こんなに冷え切った部屋で、しかもとっくに寝ているはずの時刻に、なぜそんな格好でいるのだろう。――いや、それ以前になぜ大人の姿が見えないのだろう。
「ねえ、おうちの人は今――……」
 そう言いかけたその時、アパートの玄関のドアが安っぽい音を立てて開かれた。
 まずい。
 こんなところを大人に見られたら、間違いなく不審者と思われるだろう。空から砂をまいている時には人目につかなくても、地上に降り立てば普通の人間と同じように見えてしまうのだ。
 玄関と台所は一緒になっており、半分開いた居間の引き戸の隙間から、子供の母親と思われる人影がわずかに見えた。中腰になっているのは、ブーツを脱ごうとしているところなのだろう。逃げるなら今しかない。
 慌てて窓から出ようとした私の背中を、突然の怒声がたたいた。
「こらぁぁっ!」
 びくりと震え、危うく転びそうになったところで、第二の叫び声が上がる。
「あたしが帰ってくる前にお湯を沸かしとけって言っただろうがっ!」
 がしゃん、と何かが割れる音が響く。引き戸の隙間から様子をうかがうと、台所の床にビンの破片が散らばっているのが見えた。
 どうやらそれは焼酎のビンであるようだ。台所の床にあふれ出た液体から、濃厚なアルコールの臭いが立ち上ってくる。
 数拍置いて、私は彼女の台詞の意味を理解した。要するに、この幼い子供を夜中にたたき起こして、焼酎を割るお湯を沸かせと言っているのだ。何と非常識な母親なのだろう。あまりのことに呆然と立ち尽くしていた私の腕を、小さな手のひらが不意につかんだ。
「早く。行って」
 私の手を引っ張って、そううながすのはこの家の子供だった。一瞬ためらったが、怒り狂った声がすぐそばまで近づいている。迷っている暇はない。私は窓枠を乗り越え、庭に飛び出した。
「メリー! さっさと起きなさい!」
 もはや一刻の猶予もない。私は大いびきをかくトナカイの鼻先を、容赦なくたたいた。急所を打たれて飛び起き、めちゃくちゃに首を振って暴れ出そうとするメリーの手綱を引っつかむと、私を乗せたそりは夜空を目指して駆け上がった。



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