OVER 2nd mov.



「初めが地上で、次が地下で、今度は地中とはね。いくら私でも、そこまでは予想できなかったわ」
 イーリスの口調は投げやりだったが、そこには少なからず微苦笑が含まれていた。地上街で生まれ、地下都市で学び育ち、そしてついには船の身体になって地中に埋められたのだ。その変遷を思うと、つい愚痴もこぼれてしまうというものだろう。だが、そんな自嘲めいた口ぶりで話すのも、それが気のおけない相手だからこそということもある。その、愚痴の聞き役はもちろん決まって一人。
 彼女を文字通り拾い上げたフィオは、この数日でメイン機能のおおよそのところを使えるようになるまで復旧させていた。とはいえ、それはすべて手動操作の範囲内に限られている。もとは人間のAIに繋ぐことは憚られたのだ。人間以上の能力を持つことを、人間の心は拒絶するだろう。人とは、そういう生き物なのだ。
「そうだね。だけど、どうして君は埋められたんだろうね」

 制御盤(コンソール)と向かい合い、数字と睨み合いながら、フィオはそう返した。対して、イーリスは憮然とした表情を見せる。生身のものではない、画面に映し出された二次元の顔を。
「そんなの決まってるじゃない。すべてのシステムを止めて、地中奥深くに埋めて……無事逃げおおすために証拠を隠蔽したのよ」
「だったらおかしいな。あまりに手ぬるい。確実に追及を断つ気なら、君の口を封じてしまうのが最も効果的だ」
「な……」
 何を、と言いかけて絶句した。あまりの言いようにイーリスは二の句が継げなくなった。
「意識を交換させた後、AIの機能を丸ごと消去してしまえばいい。後は手動で操作すれば、船でどこへでも行ける。または、逃げなくてもそのまま派遣所に戻って、AIが暴走したからやむを得ず破壊したとでも言えば、君自身になり代わることだってできたはずだ。それなのにこんな中途半端なやり方だから、こうして僕が君を見つけて罪が露見した。――どうも腑に落ちない」
「何よ、それ。私がそのまま消えてしまえばよかったみたいな言い草じゃない」
 その非難は、憤慨というより子供っぽく拗ねたような口ぶりだった。ちなみに、画面に映し出された彼女の仮想映像も、それに合わせたように口を尖らせている。
「そう聞こえたなら謝るよ。そんなつもりで言ったんじゃない。ハーピーの行動に一貫性がなさすぎるんだ。人間の身体を乗っ取るなんて大胆な行動に出たのなら――人工プログラムの原則を断ち切ってまで人間に反抗したのなら、最後まで冷徹にならなければおかしい。だから、これは暴走とも言えないんじゃないかという気がする」
「じ、じゃあ何だって言うの? これが暴走じゃないとしたらいったい……」
 にわかにうろたえたようなイーリスの問いかけに、フィオは首を左右に振る。
「わからない。せめて問題の、発端となった報告のデータファイルでも残っていたら、解析すれば何かわかったかもしれないけれど……こいつは綺麗さっぱり消去されてるな。周到なことだ。――イーリスは何か、思い当たるようなことはない? わずかなりとも彼女の性質を知っている君には」
「さあ」
 イーリスの答えは実に簡潔を極めた。フィオはそう、と言ったきり、それ以上訊くことはなかった。



 厳かな音色と歌声が船内を満たしていた。またしてもメイン機能とは何の関わりもない、娯楽システムの一つをフィオは復旧させていたのだ。もともとフィオは口数が多いほうではないため、こうすれば沈黙を心地よい空間に変えることができるようにはなる。しかし、流れてくるのは、無言でいるよりいっそう暗くなるような曲だった。しめやかな船室内の雰囲気にたまりかね、イーリスは作業中のフィオに訊ねた。
「いったい何の曲なの? これは」
「フォーレのレクイエム」
 フィオのあっさりした答えに、イーリスはさらに戸惑った。彼女はもともと遠い時代の古典音楽になど詳しくないが、少なくともレクイエムが死者に捧ぐ鎮魂の歌だということぐらいは知っている。曲目数が豊富にある中から、よりにもよってどうしてそんな選曲をするのやら、と内心で頭を抱えた。
「だけど、これは死に対する恐怖感を表したものではないと言われている。中には『死の子守歌』と呼んだ人もいたぐらいだ」
 困惑するイーリスをよそに、フィオは曲の解説を始める。続いて、これは何年にどこの寺院で初演され……などと言い出したものだから、イーリスは口を挟む必要を感じた。
「ずいぶん音楽に詳しいのね」
「ああ。僕の……親が、地球時代の芸術にはうるさくてね。それでつい感化されたんだ」
 親、という一言を口に乗せるまでのわずかな空白にイーリスは引っかかりを感じたが、立ち入るべき事柄ではないので何も訊かなかった。

 サンクトゥスが終わってソプラノの独唱に移り、船内がますます静寂に程近くなった頃、彼らは外の異変を音によって知ることになった。かえって静かな曲だけに、最初の兆候を聞き逃さずに済んだのだ。
 接近する複数の足音は、火星の薄い大気と音声システムを通して船内に伝えられた。そこでフィオは物悲しいソプラノの歌声とオルガンの音色を消して、マイクの収音率とスピーカーの音量を上げた。船外カメラの画像を拡大すると、街のほうから防護服や与圧服に身を包んだ人間が、ぞろぞろとこちらを目指してやって来るのが目に入った。
「どうやら厄介なことになりそうだな」
 フィオは、今にも舌打ちしそうな顔で呟いた。
「何なの? あの人たちは」
 それには答えずに、
「イーリス、外の機能をロックする。目と耳を除いてね。それと、今から動力系統を作動させて暖めておくから――突然、心臓部が動き出したからといって驚かないでくれよ」
 とだけフィオは言った。目と耳とは、イーリスの今の身体ではカメラとマイクにあたる。しかし、心臓部まで動かすとなると――
「どうして? 動力系統ってことは、もしかしてここから飛ぶつもりなの?」
「場合によってはね」
 その時、接近してきた人影がはっきりと見えるようになり、声も拾えるようになった。

「おい、間違いないぞ。――船だ」
 誰かが指差し確認しながら大声で叫んだ。
「使えるのか?」
「状態はいいな。まだ充分飛べるんじゃないか?」
「誰かが乗り捨てたのか? それにしても何だってこんなところに」
 一人が、フェイスプレートの向こうで首を傾げる。
「だが、だとしたらますます使える可能性が高い。もし飛べるんなら――俺たちはこの星から抜け出せる」
 すると、おお、という熱を帯びた声が彼らの中から漏れた。
 話の内容から察するに、彼らは船を持たないスクラップあさりらしかった。墓場に定期的に運ばれるコンテナの中からめぼしいものを掘り出して、売りさばくのを生業とする者たちである。しかし、自分たちの船を持ち、他星を回るようなプロならいざ知らず、地上に縫いつけられているような連中は、大した収益を上げられない。この火星だけで大量の物資を流せようはずもないのだ。だから、彼らはますます宇宙を望む。地を這い回るばかりの日々を疎んじ、星々の大海を航ることを乞い願うようになる。
 そんな彼らが船を見つけたとなれば――その喜びは並一通りのものではないのだ。
「とにかく入り口を開けようぜ。中に入って見てみないことには、何とも言えん」
「そりゃあそうだ。だが、なるべく傷はつけるなよ。もし解体して流すことになっても、値が下がる」
 すると彼らは心得たとばかりに、一斉に作業に取りかかった。
 まずは船腹のドアに何やら装置を取り付けて、正面突破を試みる。
「ちょっと、どうするつもりなの? フィオ」
 無言でモニターを見つめる彼にイーリスは、たまりかねて問いただす。このまま放っておいては彼らに侵入されてしまうではないか――
「取り敢えずロックはしてあるから、そう簡単には開かないだろうよ。あんなちっぽけな装置じゃね。だけど、強行突破してくるとなると厄介だな。おとなしく諦めて引き下がりそうもないし。――だから行くなと言ったんだ。こういう面倒に巻き込まれるんだから」
 後のほうの台詞は、この場に居合わせない者に向けられた非難だった。ぶつぶつと文句を言っていたフィオだが、彼らの動きがいっそう活発になるのを見ていては、とにかく対処するよりなかった。
 彼らの一人が船のてっぺんによじのぼり、その背に小さなハッチがあるのを発見して嬉声を上げた時、フィオはマイクに向かった。

「それ以上、触るな」

 彼らは手をぴたりと止めた。一瞬の空白。まさか誰かがいるとは思いもよらなかったのだろう。数秒後、リーダーと思しき男が、ようやくのこと口を開いた。
「何だ、人が乗ってたのかい。だったらもっと早くに言ってくれりゃあいいのにさ。それにしてもあんた、こんなとこで何をしてるんだい?」
「人を待っている」
 この時、やっと動力炉が動き始めた。その振動に再び驚く者もいる。――だが、まだ充分暖まってはいない。
「待ち合わせ? ここで? そいつは合法じゃあないだろう」
「どういうことだ」
 聞き返すフィオの声には剣呑な響きがある。
「そのまんまの意味さ。そもそも墓場(ここ)は停船禁止区域だ。にも関わらず、ここで人を待っているってことは、表立ってはできないような何かヤバイことなんだろう?」
「――だとしたら、どうだと言うんだ」
 フィオの声がますます鋭く研ぎ澄まされる。
「だったら、俺も乗せてくれないか。よその星に移りたいんだ」
 その静かな一言が引き金となって、他の者たちも突かれたように口々に叫び始めた。
「抜け駆けはなしだぜ。おれだってこんな星、出たいんだ」
「俺もだ」
「どこか別のところへ連れてってくれ」
 彼らは一斉に騒ぎ立て、「亡命だ亡命だ」と口にする者までいる。
「……ねえ。フィオ、どうするの」
 イーリスの質問に答える気力すら萎えるほど、フィオはうんざりしていた。
 炉の温度は上昇を続けている。――まだだ。もう少し。
 口々に喚き散らす連中の背後から、また幾つのもの影が迫ってきた。初めはモニターの拡大映像でも点にしか見えなかったものが、次第にくっきりと人形をなす。それを見て、フィオは何もかも投げ出したくなった。
「あったぞ!」
「船だ!」
「お宝だ!」
 彼らもまた嬉しさに叫び合い、指差し確認で駆け寄ってきた。「開けろ」「乗せてくれ」「ここから連れ出してくれ」誰も彼もが一様に訴える。船殻には激しいノックの嵐。
 すると、今度は先のスクラップあさりどもが、後から来た者たちに向かって怒鳴りつけた。
「おい! てめえら、いい加減にしろよ。これは俺たちが先に見つけたんだ。てめえらに乗る資格なんざねえ。とっとと帰りやがれ!」
「何だあ? あさり屋風情がでけえ面すんじゃねえよ。先に見つけた? それがどうした。おまえらこそ、搭乗拒否されてんじゃねえか。何が資格だってんだよ」
「言いやがったな。てめえらみてえな盗人が、よくもでけえ口叩けるじゃねえか」
「盗人はおまえらだろ。しかも、他人のゴミをあさるしか能のない、こそ泥が」
「何を!?」
「この野郎!」
 似通った、汚く語彙の乏しい口論の末、船の周辺のあちこちで殴り合いの喧嘩が始まった。その眼はすでに人間の理性を失っている。ここで勝ち残ればご褒美に夢を叶えてもらえるとでも思っているのか、死に物狂いだ。

 恐らく、このまま放置しておけば人死にが出るだろう。致命傷を負わずとも、防護服に穴が開けば――特に旧式の与圧服など、その瞬間に窒息死してしまう。
「フィオ、何とかしてよ。このままじゃ大勢、死傷者が出るわ」
 イーリスもまた冷静さを欠いていた。今の自分では動かせる指一本さえないという、もどかしさもそれに追い討ちをかけていたに違いない。
「だとしても、僕には手の打ちようがない。彼らが争いに飽きるのを待つ以外には」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「じゃあ、他に何か手があるのかい?」
 そう切り返してイーリスを言い淀ませているうちに、フィオはそれに気づいた。モニター画面の端に映る、赤みを帯びた髪に見覚えはないか――

「エト!?」
 先に声を上げたのは、言葉に詰まっていたイーリスのほうだった。
「フィオ、いるんだろ。早く開けてくれ、今のうちに」
 周りが我を忘れて争い合う隙をみて、エトは船外カメラの近くまで寄って、小声でそう訴えた。

(――どうして、今頃)

 フィオは、ぎりと歯噛みした。なぜ、こうも間の悪い時に舞い戻ってきたりするのだ。あと少し、ほんの少し早くに戻ってくれば、こんなことにはならなかったものを。
「フィオ、開けてくれ! 時間がないんだ。管理局がこの船のことを嗅ぎつけて、もうすぐやってくる」
 モニターの中でエトは切迫した表情を向けてくる。明らかに苛立っている顔だ。何を手間取っているのだと、その鳶色の双眸が雄弁に問い質す。
 だが、フィオは決して手間取ってなどいなかった。ただ、待っていたのだ。その時を。

(――今だ)

 フィオは何の躊躇いもなく、噴射スタートを決行した。
「やめて、フィオ! 何をするの!?」
 イーリスは叫んだ。周囲では、船にしぶとくへばりついていた者や、すぐ傍で殴り合っていた者たちが、その風圧と衝撃で吹き飛ばされた。転んで怪我をするぐらいならいい。だが、噴射発進の直撃をくらえばただでは済まない。それがわかっているからこそ、人に囲まれたまま身動きできずにいたのではなかったのか。
 イーリスはいまだに信じられなかった。だが、今の自分の眼に錯覚など絶対に起こるはずがないことも知っていた。
「――フィオ!」
 その声は、船の内外で唱和した。船の少女と、地上に置き去りにされた少年と、その非を鋭く責め立てる。だが、激しい爆音に彼らの呼び声は虚しく掻き消された。

 鈍い、錆びた鉄色の船は、宙に浮き上がった。
 それを見計らったかのような絶妙のタイミングで、行く手を阻む威厳に満ちた冷ややかな声が降ってきた。

「そこの不審船、止まりなさい。――繰り返す、ただちに停船せよ。さもなくば発砲する」
 エトの言った通り、とうとう航宙管理局のお出ましとなったわけだ。監視船はMA‐802よりも二回りも大きな船体を翻し、すぐさま砲塔を向けて居丈高に脅迫してくる。相手が動きを止めたのを確認すると、監視船は不審船の頭上から垂直に降下して、真正面から向き合う態勢を取った。そのままおとなしくなると思ったのか、局員たちはみな、ほとんど舐めきっていたのだ。そして、それが隙を生んだ。
 噴射音を耳にすると同時に、その場に居合わせた者たちは誰もが瞬時に視界を白く埋め尽くされた。小型船が撒き散らしたCO2ガスが、極寒の火星の大気に冷やされてドライアイスとなり、船の窓やカメラのレンズ、地上の人々のヘルメットに凍りついたのだ。
 ようやく視界を取り戻した時、その船はすでにどこかへ飛び去った後だった。



「信じられない!」
 船内を憤然とした声が駆け抜けた。
「どうして急に飛び立ったりしたのよ? 周りにいる人たちが危険だってことぐらい、わかってたんでしょ!?」
「まあね。だけど、他にどうしようもなかった。多少の被害は仕方がない」
「仕方が、ない!?」
 イーリスは、さらりとしてまったく悪びれるふうのないフィオの台詞を繰り返した。
「よくもそんな冷たいことが言えるわね! あの中にはエトがいたのよ? あなたの仲間が! その、被害を受ける中にあの子だって入るかもしれないじゃないの!」
 特に、エトは船のすぐ傍にいた。被害を受ける可能性は高い。彼の安全を最優先させるなら、あの時決して噴射発進などできるはずもなかったのだ。
「そこまで怒るということは、何としてでも船を止めたかった?」
「当たり前よ! 何度も止めてって言ったのに、あなたが聞かなかったんじゃない!」
「――じゃあ、どうして止めなかったんだ?」
 その問いは、イーリスの意表を衝いた。一瞬の空白が両者の間を占める。
「……できるわけ、ないじゃない。私は自分の意思では何も動かせないのよ? いくら叫んでみたって相手に聞き入れる気がなければ、止められるはずがないわ!」
「そう。これではっきりした」
 今度は面食らうというより不審を抱いた。怪訝そうに何がと問えば、彼はますます意味不明なことを口にする。
「君が、イーリスだということが」
 フィオはさらに続ける。
「君が本物のイーリスかどうかは、君の話以外からは確証を得られなかったから。もしかするとAIの狂言ということだってありうる。彼女の不可解な行動が気になっていたから、いろんな可能性を考えていたんだ。――実のところ、今、君の行動制御は半ロック状態になっている。君が正真正銘のAIなら、間違いなく自分の意思で開けられるように。でも、君はそうしなかった。その方法も、そのことすらも知らなかったんだ。だから、君はハーピーじゃない」

 彼女は眩暈を起こしそうだった。だが、血もかよわぬ今の身体はしっかりと意識を保っていた。己の身体が恨めしい。殴りつけてやれる手もない自分が。
「……そう、君がハーピーではないということは確かだ。だけど、君は――」
 フィオは一瞬、言い淀んだ。常に淡泊で無駄のない口ぶりの彼が見せる、わずかな逡巡。その隙を突くように、再び口を開きかけた彼をイーリスは遮った。
「そんなことを確かめるために……それだけのために、多くの人たちを見捨てたの? 傷つけても構わないって思ったの? 私を、疑ってたのね……?」
「いや、それだけじゃない。あの場で局に捕まるわけにはいかなかったから。急いで逃げるにはああするしかなかった」
 フィオの声は、またいつもの淡々とした調子に戻っていた。表情もほとんど変化がない。
 それが、無性に腹立たしい。金属に覆われた身体でも、血のたぎりそうな思いは生身の殻を持っていた頃と変わりはなかった。
「……信じられない」
 と、彼女は再び繰り返した。画面の中では実体のない銀色の双眸が、怒りの対象を見据えている。
「信じられない! 最低よ! あなたなんか人間じゃない!」
 何がこれほどの怒りに駆り立てるのか。
 その冷たさをなじる心理には、疑われていたという悔しさもあったのかもしれない。彼女は信じていたから。――他に、信じるものなどなかったから。

「――そうだよ」
 その声は、いつもと調子が違っていた。一抹の寂しさを感じさせる声色に、彼女は束の間、怒りを忘れた。
 どこか虚ろげな表情。引き結んでいたフィオの薄い唇が、それを静かに紡ぎ出した。
「僕は、アンドロイドなんだ」