OVER 4th mov.



「あの船で間違いないと思われます」
 管理局員の一人がモニターを指差した。眼下に伸びるパラナ谷の底に、一隻の小型船が見える。
「確かに型もサイズもぴったりですな。――おや? 救難信号か?」
「降下しろ。近づかないとキャッチできん」
 とはいえ、急降下するには危険な場所であるため、ゆっくりと減速してゆくしかない。
「おおかた、密航中に誰か病人でも出たってところだろうさ」
「そういうケースもあるんですか?」
「おっと、おまえさんは新米だったんだな。そりゃそうさ。そんな話は山ほど転がってる。まだ病気ならいいほうだ。時には仲間内で争いになることもある。だいたいが食糧や、もしくは女の取り合いあたりが発端だが、それでも奴らにとっては死活問題だ。最後に一人が生き残るまで殺し合うなんて場合もある。凄いぞう。サバイバル・ゲーム後の船内なんて、そこらじゅう血や肉片が飛び散ってな、スプラッタ映画が子供騙しに思えるからな」
「あの、主任、そういうお話は……」
「何だあ、情けないなあ。奴らの覚悟を少しは見習ったらどうなんだ」
「……覚悟、ですか」
「そうさ。密航するような連中は、たいがい決死の覚悟で故郷を出るんだ。時には宇宙の塵や、他星の土になって還れないこともあるからな」

「――主任、信号をキャッチしました!」
 操縦士がそう告げたので、年輩の上司と新米の部下との心暖まる会話は打ち切られた。続いてモニターに受信画面が映し出される。
『あの、すみません……管理局の方…ですよね……?』
 現れたのは二十歳前後と思しき青年だった。黒髪に漆黒の瞳。だが、何よりも目をひいたのは、白い顔に浮かぶ苦しげな表情だった。
「そうです。我々は航宙管理局です。いったいどうされましたか?」
『先程は……騒ぎを起こしてしまい、申し訳ありません……とにかく、どこかに停めて休まなければ…ならなかったので……』
「ああもう結構。詳しい話は後にして。それよりどうしました? 具合でも悪いんで?」
 応答する操縦士は明らかに苛立っていた。しかし、その尋問に答えるべき相手は、呻くような声を押し出すと崩れ落ち、モニター画面の中から消えてしまった。
「主任の予想が当たったようですね」
「そういうこったな。さあ、おまえ救助に行け」
「え、僕がですか?」
「当たり前だ。新入りが働かなくてどうする。若いうちから楽をしようなんてのは、甘いもいいところだぞ」
 さあ働け、と放り捨てるように送られて、新米局員はぶつぶつと不平をこぼしながらも救助に向かった。

 問題の船の中はひっそりとしていた。他に乗員はいないのだろうか。そんなことを思いながら操縦室のドアを開ける。案の定、そこには先刻の通信で喋っていた青年が倒れ伏していた。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
 慌てて近寄り、転びそうになる。たとえ新式でも与圧服というのは実に機動性に乏しい。舌打ちしながら傍に寄ると、意識の混濁したような青年の瞳がゆっくりと開かれた。
「――ん? 何だ?」
 若い局員は聞き返した。意識を回復した青年は薄い唇を上下させているのだが、その声が聞き取れない。与圧服の厚いヘルメットが声を遮断してしまっているのだ。もちろん、音声システムを通せば伝わらないはずはないのだが、病人は相当弱っているらしく、フェイスプレート越しではほとんど聞き取れない。
 局員は計器に目をやった。有毒ガスが流入しているというわけではないらしい。メーターは救助に向かった時から変化がない。そもそもこの病人の様子から、中毒症状を起こしているようには見えない。それを確認すると、局員は邪魔なヘルメットを無造作に外した。

「――!!」

 その瞬間、局員は喉を掻き毟った。喘ぎ、呻く、獣の咆哮のような声が自分のものだと気づく暇さえなかった。
 計器に変化がないのも当然だった。室内は、外界の大気と同じ成分の空気が満たしていたのだから。九割以上の二酸化炭素、そして残りも窒素やアルゴンが占め、酸素は一パーセントにも満たない。与圧服は、火星の大気に直に触れる時に使われるのが一般的だ。よって大気成分と同じ気体について、いちいち警告をするはずもない。大気中でヘルメットを外すのは、自殺行為に他ならないのだから。
 虚空をつかんで崩れ落ちた人間を、残酷な視線が見下ろしていた。


『主任、私です』
 通信画面に見慣れた部下の顔が映ったのは、彼を送り出してしばらく後のことだった。
「おう、どうした。えらく手間取ったな」
『これから病人をそちらに運びます。搭乗手続きをしている余裕がないので、先にセキュリティロックの解除をお願いします』
「わかった。早くしろよ。そいつに死なれでもしたら、こっちの落ち度になるんだからな」
 どうやらこの密航者には仲間がいるらしいということはわかっている。そちらのほうは地上に振り分けた部下に探させているが、無闇に踏み込めない場所に逃げられてしまったのだという。不手際もいいところだが、今はそんなことを言っている場合ではない。逮捕状と捜査令状を持ち出すにしても、仲間の自供がどうしても必要なのだ。

「まったく、犯罪者どもがこっちの手を煩わせやがる」
 通信を切った後、主任の男はぼやいた。すると、もう一人の乗員である操縦士がおずおずと訊ねた。
「主任、本部に連絡しなくてもよかったんでしょうか……。万一、被疑者が死亡するようなことになれば……」
「被疑者だあ? 疑うまでもなく、こいつらは犯罪者だろうが。それに死ぬ前に締め上げて聞き出せば、あとは野垂れ死のうが知ったことじゃない。だいたい、本部に連絡なんかしてみろ。すぐに現場を知りもしない上層部の奴らがのこのこ出てきて、手柄を横取りされるだけなんだぞ。そんなのは全部、鼠捕りが終わってからでいい!」
「とは言われましても……」
 操縦士がなおも反論を試みようとしたところで、モニターに人影が映った。どうやら新米の部下が、昏倒した密航者を担いで戻ってきたらしいと判断し、昇降口のセキュリティロックを解除した。これで乗員の照合といった煩瑣な手続きを踏まずに搭乗できるようになる。意識のない者の網膜パターンを記憶させて搭乗許可する、などという面倒なことはできる限り避けたほうがよい。
 だが、少しでも不審を抱いていれば――例えば、担ぎ上げられている人間の身体の陰で、部下の顔がよく見えないことなどに気づけば――本当にそんな行動に出られただろうか。

 人影が昇降口にたどり着くと、ドアが自動的に開かれた。二重扉の内側のドアが開くと、主任の男は部下を迎えようとした。が、
「うわっ」
 衝突し、転倒した。入ってきた人影に投げつけられたもの――ぐにゃりとして柔らかい、そのくせ重い、それは――白目を剥き、顔面は青紫に変色した、変わり果てた部下の姿だったのだ。悲鳴を上げ、飛びのいて、主任の男は侵入者を仰ぎ見た。
「お、おまえは――」
 何者だ、そう言いかけた口は大きく開いたまま、声の代わりに血を吐いた。局員の与圧服を着た男に、局員の銃で胸を撃ち抜かれ、呆気なく絶命した。
「ひ、ひい……っ」
 悲鳴を聞きつけ、操縦室から飛び出した、たった一人の生き残りはその惨状を目撃した。侵入者は凶弾を放ったばかりの銃を手に、血に濡れた二つの屍体を跨いで彼のほうに向かってくる。
 操縦士は後ずさった。操縦室に逃げ込み、施錠すれば助かる。理屈はわかっていても、足が思うように動かない。震えて壁に寄りかかった時にはすでに、銃口が目の前にあった。

「本部との連絡を遮断しろ」
 侵入者は命じた。たった今、二人の人間を手にかけたばかりだというのに、顔には何の表情も表れてはいない。その冷徹さ、冷酷さに、操縦士は身震いした。
「そ、それはできませんので――」
「なぜだ」
「本部にはもともと連絡を取っていないんです。我々と、あとは地上に分けた二人の部下と、これだけの独断で行動しているんです」
「これで全部か」
「そ、そうです」
 どもりながら答えた、それが彼の最後の言葉になった。紅く染まった視界の中で、彼は冷たい微笑を捉え、倒れた。