OVER 5th mov.



 R‐15地区、シリロフ診療所。彼らがそこを訪れたのは、黄昏迫る夕刻のことだった。
「君が、フィオ君だね」
 玄関で応対するウェイン氏の確認に、逆光の中の人影は深く頷く。
「君のことはエト君からだいたい聞いているよ。いらっしゃいと言いたいところだが、肝腎のイーリスはどこにいるんだい?」
 すると、彼はゆっくりと手のひらを胸にあてた。
「――ここに」


 エトは一人、ベッドの隣でハーピーに付き添っていた。
 彼女は相変わらず眠り続けている。あの後、投与された解熱剤のお陰で高熱にうなされるということはないが、顔色の悪さばかりはどうにもならない。
 彼女は全体的に色素が薄いのだが、それにしても白すぎる。人間らしさが感じられない。銀糸のような髪も、長い睫毛も、薄く小さな唇も、みな造り物めいて見える。
 人間に憧れ、人間になりたがった彼女は、いまだ人間になりきれていない――そんな、とりとめのないことを考えていた時のことだった。
「そんなに人の顔をじろじろと見ないでよ。寝顔を見られるのって、ものすごく恥ずかしいんだから」
 ハーピーの唇は微動だにしない。別にそれは彼女が寝ながらにして腹話術を披露したわけではなく、その声は別の方向から発せられたのだ。

「あ、フィオ……」
 振り向いた先には馴染みの顔があった。裏切られたと怨んでいた時のような激しい感情はないが、それでもこうして正面から向き合うのは気まずい思いがする。
「一人なのか? 今、イーリスの声が聞こえたような気がするんだけど……」
「気のせいじゃない。一緒にいるよ」
「え? 一緒って……」
 エトの問いには答えずに、フィオは無言のまま進み出た。両目を固く閉ざしたまま眠るハーピーのすぐ傍まで近寄ると、ゆっくりと口を開く。
「聞こえているんでしょう、ハーピー。そろそろお目覚めの時間よ」
 フィオの唇から、少女の柔らかな声が紡がれる。呆気に取られるエトの隣で、呼びかけられた少女はそっと銀色の瞳を開いた。

「……久しぶりですね、イーリス。ちょっと見ない間に、ずいぶん変わった身体を持ったんですね」
「それはお互い様でしょう」
「そう……それもそうですね……」
 ベッドの上で半身を起こしたハーピーは、自嘲気味に呟いた。
「フィ…フィオ……?」
 唖然としたまま、一人状況を呑み込めないのがエトだった。その驚愕と動揺ぶりを充分察しているらしく、フィオはフィオの声で少年に語りかけた。
「今、僕の中にはイーリスがいる。船のメインコンピュータからイーリスの意識を移動させたんだ。まさか船のまま街に乗り入れるわけにもいかないから、一緒に来るといってもこれしか方法がなかったんだよ」
「そ、そうか……道理で……」
 取り敢えず納得はしたが、すぐさま慣れるというわけにもいかない。
 当人たちには自分ともう一人の区別は明らかだろうが、端から見ればかなり異様な光景だ。声音を変えた一人二役、もしくは一人芝居といったところだろうか。特に青年姿のフィオの口から少女の声が発せられるのは、かなり不気味でもあった。
 もちろんエトは、アンドロイドはいかなる声も造り出せるという知識を持ってはいたが。

「どうやら役者は全員揃ったようだね」
 最後に室内に入ってきたのは最年長者だった。四人の身体と五人の意識が一箇所に集ったところで、彼は後ろ手にドアを閉めた。
「シナリオを書いたのはあなたなんですか」
 詰問口調のフィオの視線は鋭い。ウェイン氏は、軽く首を振ってそれをかわした。
「いや。私は少しばかり舞台を提供したに過ぎないよ。それに、君たちの登場はまったくの予定外だった」
「予定、ね。そして、その中にイーリスとハーピーはもちろん含まれていたわけだ」
「そうだね。だが、巻き込まれる形になった君たちにも当然、事情を知る権利はある」
「当然ですね」
 フィオの答えはにべもない。一拍おいて、ウェイン氏は静かに告げた。
「――そろそろ、終幕の時間のようだ」