十五夜うさぎと灰色うさぎ



 夜空に浮かぶまんまるの月を見上げて、野うさぎは小さくつぶやきました。

「ああ、今日の月は一段ときれいだなあ」

 しみじみとしたその声に、しかし答える者は誰もいませんでした。
 仲間とはぐれてしまったわけではありません。野うさぎは、いつもひとりだったからです。
 白々と明るい月の光の下で、野うさぎは自分の毛皮をじっと見つめました。それは、昼の太陽の下でも変わらない、くすんだ灰色。決して着替えることのできないその色を改めて見つめ、野うさぎはため息をつきました。
 本当は、彼にも仲間はたくさんいたのです。でも、みんなは白うさぎか黒うさぎのどちらかで、同じ灰色のうさぎはいませんでした。白でも黒でもない、あいまいな毛並のせいで、彼は誰とも打ち解けることができず、気づいた時にはひとりぽっちになっていたのです。

「そうか、もうすぐ十五夜なんだ」

 そのことにようやく気づき、野うさぎはひとりで大きくうなずきました。
 夜空の月は、あとほんの少しで完全な円になるほど太っています。
 どんなうさぎも、十五夜には自然と心が浮いてくるものです。それは、月に住むうさぎたちが、夜通しお祭りをしているからだと、遠い昔に彼は聞いていました。しかし、その日が間近に迫っていることを、今はひとりぽっちの彼に教えてくれる仲間はいなかったのです。

 でもここで気づいたんだし、せっかくだから何をしよう?

 そう思ったところで、野うさぎはひとりでは何もできないことを改めて思い出しました。
 大勢の仲間がいれば、月の下で輪になってダンスをしたり、ごちそうを食べて語らいながら夜を明かすこともできるのに。
 この、灰色の毛のせいで。
 自分の毛皮を恨めしく思いながら、もう一度月を見上げると――驚いたことに、白い光がいっそう強くなっていました。まるで今にも爆発しそうな光のまぶしさに、思わず野うさぎは目をつぶってしまいました。

 ぼすん、という鈍い音が、すぐ近くで聞こえたのはその直後。いつの間にか光が収まっていたので、野うさぎは恐る恐る目を開けました。

「痛たたたた……ちょっと着地に失敗しちゃったかな」

 その声に、野うさぎは驚いて両耳をピンとまっすぐ立てました。聞き間違いではないかと彼は思ったのです。なぜなら長い間、彼は自分以外の声を聞いたことがなかったからです。
 でも、聞き間違いではありませんでした。すぐ目の前に、草むらの上でひっくり返ったうさぎの姿があったのです。

「やあ、こんばんは、野うさぎ君」

 そのうさぎは、ゆっくりと体を起こすと、彼に向かって明るくあいさつをしてきました。

「あ、こ、こんばんは……」

 誰かとあいさつするのも久しぶりだったので、野うさぎは少しどもってしまいました。でも相手のうさぎは構わず、にっこりと笑いかけてきました。

「うん、やっぱり灰色だ。私はずっと君を探していたんだよ」

 嬉しそうな顔で、そのうさぎはポンポンと野うさぎの肩を軽くたたいてきました。いったい何のことかわからず、小首を傾げていると、相手のうさぎはようやく気づいたように、再び口を開きました。

「そうだ、まだ名乗っていなかったね。私は月うさぎだよ。あの月の中に住んでいて、今、地上に降りてきたんだ」

 降りてきたというより、落ちてきたのではないかと野うさぎは思いましたが、そう口にすることはできませんでした。
 何より、あまりに唐突な出来事に、驚きすぎて言葉を失っていたのです。

「私は月からいつも地上を眺めていて、一度降りてみたいと思っていたんだ。そしたら、私にそっくりな君を見つけたから、思い切ってやってきたんだよ」
「そっくり……?」
「そうだよ。ほら、よく見てごらん。君は、私とまったく同じ毛の色をしているだろう?」

 ほら、と月うさぎは前足を伸ばしてみせました。確かに、その毛は野うさぎとまったく同じ色合いに見えました。

「月うさぎはみんな灰色なんだ。だから、月では君もすぐに溶け込めると思うよ」
「溶け込める……?」

 いったい、月うさぎは何を言い出すのでしょう。不思議な顔で聞き返す野うさぎに、月うさぎは微笑みかけました。

「君は、月に行ってみたいと思わないかい?」

 それは、あまりに急な問いかけでした。野うさぎにとって、月は見上げるもので、行ってみようだなんて考えたこともありません。
 にも関わらず、野うさぎはなぜか反射的にうなずいていました。
 すると、月うさぎは嬉しそうに両耳を揺らしました。

「そうか、それは良かった。私は逆に、いつか地上で暮らしてみたいと思っていたんだ。だからね、君と私でこっそり入れ替わってみないかい?」
「そんなこと……できるんですか?」
「言わなければ誰にもわからないよ。どうだい、行くなら今しかないよ」

 そう誘いかける月うさぎの赤い目が、野うさぎをじっと見つめて急かします。野うさぎは、迷っている暇さえ与えられませんでした。

「あの丘の上に、細い光の糸が見えるだろう? あれを上っていけば、月までたどり着ける。糸が消えないうちに決めるんだね」

 月うさぎに指された方向に視線を向けると、小高い丘の上に、確かに細い光が見えました。その糸のような光はどこまでも――天の上まで伸びているようです。もしかしたら、月うさぎはこの糸をたどって地上まで降りてきたのかもしれません。

「――行きます」

 短く答えると、野うさぎは丘まで大きくジャンプしました。そうして細い光につかまると、まるで頃合いを見計らったかのように、糸はするすると天に向かって上っていきます。
 野うさぎは、糸にしっかりとつかまったまま、地上を見下ろしました。だんだん小さくなっていく月うさぎが、彼に向かって前足を振っています。
 ひとりになってから初めてできた知り合いなのに、こんなにすぐにお別れなんて。
 少し寂しくなって、野うさぎはうつむきましたが、すぐに考えを改めました。
 なぜなら、「月のうさぎはみんな灰色だ」と、月うさぎが言っていたからです。このまま月へ行けば、きっと大勢の仲間ができるでしょう。期待に胸を膨らませながら、野うさぎはだんだんと近づいてくる月をじっと見つめていました。



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