第三章 落月


 冷や汗が幾筋も流れ落ちて背中を濡らしていた。震えをこらえながら、彼は抗議を試みた。

「いったいこれは何の狼藉ですか!? 私がどれだけ国のために働いたとお思いですか!」

 そう叫んだのは、全身を縄で縛り上げられた阮少卿である。たるんだ肉に縄が食い込み、その姿は見苦しいことこの上ない。

「国のためとな。おぬしが自分の栄達以外のことを考えていたとは驚いたの」

 ふぉふぉふぉ、と鬼才は髭に埋もれてくぐもった笑い声を漏らした。二度も賊に侵入され、邸に火まで放たれた不幸な阮少卿をいっそう不幸な目に遭わせているのが、この鬼才である。しかも彼は狡猾(こうかつ)にも、火事見舞いと称して自邸へ酒宴に招き、そしてそのまま生け捕りにしてしまったのだ。

「おぬしの罪状は国家転覆を願う呪詛の罪じゃ。ここに証拠の品もある」

 冷然と告げながら、鬼才は懐から証拠品を取り出した。最初に賊が盗んでいった、あの香炉を。

「ま、まさか――羅太師、あなたがあの賊どもを動かしたのですか!?」

 阮少卿は愕然とした。三重顎が落ちそうな勢いの驚きようだった。実際には影鬼を動かしたのは兇星だが、その兇星と鬼才は裏で繋がっているので、大した違いはない。鬼才は髭の中から再び不気味な笑い声を放った。

「気づくのが遅かったようじゃな。なぜその香炉が盗まれたか、考えなんだか」

 脂汗の浮いた阮少卿の顔は、見る間に蒼白になった。
 確かに彼は香炉が盗まれて大いに慌てたが、それは呪詛に使用できなくなると思ったからだ。だから予備の香炉が見つかり、代用できることがわかったので、取り戻そうと躍起になって捜索もしなかった。

 しかし財宝ならともかく、そんな古びた香炉が狙われたのだから、もっと深く考えておくべきだったのだ。それが後に致命傷になるかもしれないということを。

「わ、私を切り捨てるおつもりか! 私がどれだけあなたの御為に働いてきたと――」

 国のために働いたと訴えたばかりなのに、今度は鬼才のためという言葉を彼は強調した。

 無論、彼は鬼才のためにも大いに働いた。怪しげな薬の材料や資金も大いに横流ししたし、太后や鬼才にとって邪魔な人間も大いに排除した。それでもなお、鬼才はここで自分を捨てるつもりなのか。

「まあ、多少は役に立ったかの。おぬしは良い実験台にもなってくれた」

「実験台……ですと?」

 不可解な言葉に訝しむと、鬼才はせせら笑った。

「まさかおぬし、ただ人を切り刻むだけが役目と思っておったのか? 儂の製した薬を、食欲増進剤とでも思うたか? おぬしのその並々ならぬ肉には、犠牲になった者たちの怨みが染み込んでおるのじゃよ」

 途端に、阮少卿は口元を押さえて吐き気をこらえた。膝が震えて崩れ落ちそうになる。
 彼が鬼才のために調達したもの――その多くは人間の体だった。排除した邪魔者たちの肉体を、「無駄のないように」と言われて再利用してきたのだ。

 その残りの一部が、怜悧たちの見た気色の悪い品々だったのである。そして壺に入った人血――そう、搾りたての楊丞の血が、閃火を昏倒させたのだった
 だが、それらの材料は呪詛のためと彼は聞かされてきた。それなのに、「実験台」ということは――

「で、では、あなたのあの仙丹は……」

 阮少卿は震える声で訊ねた。彼はこれまで鬼才から、不老長寿の仙丹を処方されていた。もちろん、せっかく得た権勢を長く振るうためである。

 だがそれも、もはや何の役にも立たないようだ。そればかりか――その丹薬すらも、人の体から作られた代物だったのだ。知らぬとはいえ人肉を食わされたことに、阮少卿は全身を震わせた。

「そんなもの、おぬしに気前よくくれてやるわけがなかろう。どこまでも図々しい奴じゃ。最後はせめてその無駄な肉を役立たせてもらおうかの」

 恐怖と衝撃で凍りつく阮少卿に、音もなく背後から二本の腕が伸ばされた。抗う暇も与えず、その腕はしっかりと彼の体を固定してしまう。いったい何者かとわずかに首を動かしたが、その正体を目にすることはできなかった。彼の背後に回った人影は、黒い覆面にすっぽりと顔を覆っていたのである。

「な、何を――!?」

 阮少卿は抗おうと大口を開けたところで動けなくなってしまった。顎への衝撃で反射的に目を閉じようとしても、それも不可能だった。彼の体を固定させる手がさらに伸び、阮少卿の瞼(まぶた)は力いっぱいめくられてしまったのだ。そしてもう片方の手で、痛いくらいに大口を開けさせられる。噛みつこうにも、肉のたるんだ顎の力より、その手の方が強かった。

 両目と口を無理矢理こじ開けられた阮少卿の前に、微笑を浮かべる鬼才が進み出た。その手に持ったものを見て、阮少卿は最後の抵抗を試みた。しかし暴れ出そうとしても、背後から伸びる腕にがっしりと押さえ込まれ、身動きすら許してもらえなかった。

 鬼才が手にするのは鏡。顔より二回りほど大きいそれは、半月の形をしている。曇りなく磨き上げられたその半円鏡を、鬼才はゆっくりと阮少卿に向けた。

 鏡の表面が、ざわと漣(さざなみ)のように揺れる。と同時に、青白く妖しげな光を放った。夜空を皓々(こうこう)と照らす、さやけき下弦の月のように。

 その様を、阮少卿は瞬きもせず見つめていた。首を固定され、瞼をこじ開けられている彼は、目をそらすことができなかった。

 目と口を大きく開いたまま、彼は鏡に正面から向き合った。――そして。

 こじ開けられた口から、ぽうと抜け出て浮遊するものがあった。ぼんやりと白い靄のようなそれは、空中でゆらゆらと揺れ、少しとどまった後、波立つ鏡面に吸い込まれていく。

 一つ、二つ、初めに三つ。ややあって、再び現れたのが七つ。

 三魂七魄、人の命を地上にとどめる霊魂のすべてを数え終えると、鬼才は半円鏡を下ろす。そこへ、苦い声が上げられた。

「用が済めば使い捨てか……あくどさは相変わらずだな」

 突然の出現にも、鬼才は眉一つ動かさなかった。むしろその登場を待っていたかのように、泰然と構えた。

「おぬしが人情を語るとは驚きじゃの、英俊。明日は血の雨でも降るかもしれんの」

 まったく驚いた様子もなく、鬼才はゆったりと振り向いてみせる。その先には、不機嫌そうな顔で腕組みをする英俊が立っていた。どこから入ってきたものか、扉も窓も開いた気配は少しも感じさせなかった。

「血の雨を降らせるのはあんたの役目だろう。今度の獲物はずいぶんと血の搾りがいもありそうだからな」

 英俊は、床に転がった阮少卿の屍を冷たく一瞥した。この鬼才のことだ、せっかくできた死体を無駄にはしないだろう。怪しげな薬にでも活用するはずだ。

「さて、どうかの。これだけ暴食で膨れたものは、かえって役に立たぬかもしれぬわ。いずれにせよ開いてみぬことにはの」

「……また閃火を使うのか」

 英俊は低く声を押し出した。その視線は血も涙もない台詞を吐く鬼才と――その背後に立つ黒装束の覆面に向けられている。
 だが覆面は沈黙を保ち、一方の鬼才はそんな英俊を一笑してみせた。

「どうした、英俊。おぬしらしくもない。ともに暮らすうちに、仲間意識でも芽生えたかの」

 嘲弄(ちょうろう)されて、英俊はさらに不機嫌そうな顔で鼻を鳴らした。

「くだらんな。そうたびたび血を浴びせられたら、使い物にならんと言っているだけだ」

 そう吐き捨てると、鬼才はふと思いついたように口を開いた。

「ふむ、確かにあやつは今のままでは未熟な小僧じゃが、もう少し魂魄を抜けば使い物になるかもしれんの。英俊、おぬしはいくつじゃった?」

「……一魂三魄」

 英俊は、喉元にこみ上げる吐き気を抑えながら答えた。

 一魂三魄、それは《影》の力と引き換えに、彼が失ったものの数だった。

 自ら望んだわけではない。――失うことも、与えられることも。しかし彼には選択の余地などなく、無理矢理奪われ、その代わりに押しつけられたのだ。運命という名の影を。

「そうそう、そうじゃった。お望みなら、もう一つ二つ抜いてやるぞ」

 軽く言い放ったその言葉に、英俊は眉間に深い皺を寄せる。

「お断りだ」

「そう即答するでない。少しは考えてみても良かろう。おぬしは、もっと力をつけたいとは思わんかの?」

「今のままで充分だ」

 これ以上の会話は無駄とばかりに、英俊は吐き捨てる。しかし、そんな彼の様子をまるで面白がるように、鬼才は声を弾ませた。

「それはどうかの。おぬしでも敵わぬ相手がおるのではないか?」

 その台詞は、英俊の痛いところを突いた。敵わぬ相手――それは嫌でも腹の立つ記憶を思い起こさせる。

(――せいぜい大事なものを奪われぬように腕を磨くことだな)

 生まれて初めて自分が遅れを取ったあの男は、ご丁寧にもそんな捨て台詞を吐いていった。
 鬼才の言う通り、魂魄をさらに売り渡せば、もしかしたら奴をねじ伏せることができるかもしれない。今まで他人に負けたことのない彼にとって、それは甘い誘惑だった。

 押し黙ったまま、英俊は鬼才が大事そうに抱える鏡をちらりと見やる。

 顔より二回りほど大きい、半月をかたどった鏡。一見したところでは何の変哲もないようだが、実際には多大なる力を秘めている。それを思い出すと、英俊はその鏡をたたき割りたい衝動に駆られる。彼もまた、その妖しい力をふるわれた者の一人なのだ。

 一魂三魄――彼の体から奪い取った魂魄を、この鏡は内包している。そうすることで鬼才は彼を影鬼に仕立て上げたのだ。そして《影》として闇に縛りつけられた代わりに、彼は人を超える力を得た。影鬼とは、人と闇との狭間に生きる者。他の同僚――怜悧も閃火も悠遠も、恐らくそうして幾ばくかの魂魄を抜かれているのだろう。人ならざる力を持つことが、何よりの証。

 夜風のごとき敏捷さも、数多の命を闇に葬る技倆も、影鬼であればこそ手にしたものだ。もしここで英俊がさらに魂魄を差し出せば、闇の力をいっそう得られるかもしれない。

 だが――と、英俊はしばし思い直す。ここで素直に鬼才の言葉を受け入れるのは、決して得策ではないだろう。彼も充分知っている通り、この老人は必ず裏でろくでもないことを企んでいるのだから。

「俺をそそのかして、どうするつもりだ?」

「そそのかされていると思うなら、それは図星ということじゃの」

 ふぉふぉ、と鬼才はいつもの小馬鹿にしたような笑い声を上げた。唇を噛みしめ、英俊は喜色を浮かべる老人をにらみつける。

「――あんたはいったい何を企んでいる」

「人聞きの悪い台詞じゃの。まるで非力な老人をいたぶる悪役のようじゃ」

 鬼才のおどけた台詞を、英俊は冷たく無視した。いちいち反応を示せば、余計に喜ばせるだけである。

「多くの人間から魂魄を抜き取ってどうするつもりだ。地上の主にでもなるつもりか」

 鬼才に鏡がある限り、彼は永遠に魂魄を抜き続けるだろう。邪魔な者はすべて抜き取って排除し、利用できる者は一部を奪って配下にする。これを繰り返していけば、地上で鬼才に逆らえる者は一人もいなくなってしまう。そうして《影》の帝国を創ることが望みなのだろうか。

「地上の主は、陛下ただお一人じゃよ」

 その答えは、英俊の意表を突いた。しかし、それで納得できる彼ではない。皮肉な笑みを浮かべ、彼はなおも問う。

「その天子が畜生道に落ちていても、か?」

 《影》の力で少し探れば、すぐにわかることだ。朝晩そばに付き従う太后と、后妃を娶らぬ天子との関係など。
 太后は息子である天子を酒色と遊興に溺れさせている。その一方で、月の巫女として天上の位を、太后として地上の権を欲しいままにしているのだ。

 そんな腑抜けの天子を陛下と呼び、忠義面して仕えるなど、鬼才らしからぬ所業である。どうせ裏がある、と英俊は決めつけた。その心中を読んだのか、鬼才は小さく笑った。

「儂は世俗の栄華など求めはせぬよ。その男のようにの」

 その男、と鬼才は床に一瞥をくれた。二度と動くことのない、かつて阮少卿と呼ばれた肉塊を。

「さて英俊、どうするかの? 儂を殺して鏡を割ってみるか? それで元に戻れるか、試してみるがいい」

 英俊は鬼才の挑発に乗らなかった。鬼才はわざとらしく両手を広げて隙を見せてみせるが、おとなしく殺されてやるつもりなど皆無だろう。誤って手を出せば、すべての魂魄をくれてやる口実を与えるだけだ。

「――機会はいつでもある」

 それだけ告げると、英俊は来た時と同じように、音も立てずに窓を飛び越えて立ち去った。

 それを見送ると、鬼才は覆い茂った髭をなでながら、やや大きな声で独語した。

「ふむ、案外素直な奴じゃの。からかうにも物足りんわい。――そうは思わんか?」

 最後の台詞は、最後まで沈黙していた黒装束の覆面に向けられていた。阮少卿の魂魄を抜き取る手伝いをした後は、英俊から視線を受けても一言も発しなかったのである。
 英俊が去り、鬼才から水を向けられると、ここでようやく顔を覆っていた黒布を剥ぎ取った。

「……英俊が素直だったら、世の中にひねくれ者はいなくなると思うけどな」

 覆面の下から現れた素顔は、閃火のものだった。冷たい外気にさらされた素顔は、苦々しい表情を浮かべている。

 ――きっと、英俊は自分の正体に気づいていただろう。

 その思いが、彼の表情をいっそう苦くさせる。これまで、こうした陰での行いを教えたことはなかったが、英俊はとうの昔から知っていたのだろう。だからこそ、わざわざこの場で自分の名を出してみせたのだ。

 そして、英俊が気づいていることを察した鬼才もまた、面白がってことさらに自分の話題を出したのだろう。まったくもって、やるせない。

「おぬしはまだまだ見る目が足らぬようじゃの。あれほど単純な男も珍しいわい」

 鬼才の言葉に、閃火は素直に頷くことはできなかった。彼にしてみれば、圧倒的な力を持つ英俊は得体が知れず、どこか恐ろしげに感じる。英俊が自ら壁を作り、同僚たちを仲間と見なしていないことなど、閃火にも充分わかっていた。それだけに、影鬼としての力量も彼我の差が大きすぎるのだ。

 だが、鬼才にとっては、そんな英俊さえも弄ぶ玩具の一つでしかないようだった。少し力を加えれば折れてしまいそうな老人が、そら恐ろしく感じられるのはこういう時である。
 鬼才の得体の知れなさは、英俊をはるかに凌駕する。

「さて閃火、丹薬はもう飲んだかの」

「……はい」

 力なく答える閃火は、顔色が優れない。それは単に病み上がりで本調子でないからというだけでなく、これから行われることを想像したせいでもあった。
 閃火にとっては拷問にも近いのだから。

「では、いつものように頼むぞ。今日の獲物は普段より、さばきがいがあるかもしれんがの」

 老人の手に指し示されたものを見て、閃火はごくりと息を呑む。気後れするが、それでもやるしかない。細かく震えそうになる手を押さえながら、閃火は柄(つか)を握りしめた。

 床に転がる、阮少卿の変わり果てた姿。
 まずはその肉づきのよい喉元を目指して、太刀を振り下ろす。ころりと転がった頭部には、苦悶の色が貼りついている。かっと見開いた目が自分を呪っているようで、閃火はたまらず顔を背けた。

 だが、これはまだ始まりに過ぎない。吐き気をもよおしながらも、閃火は黙々と作業を続ける。

 太刀から小刀に持ち替え、彼は手慣れた動きで目の前の肉塊をさばいてゆく。床に並べられた大小様々な壺に、腹部から取り出した臓器をそれぞれ分けて収める。

 肉を切り、臓腑をつかみ取る手は、肘まで真っ赤に染まっている。まだ生温かい死体には、大量の血がたたえられているのだ。

 血を見ただけで倒れるはずの閃火が、ここまで血まみれになっても意識を保っていられるのは、ひとえに鬼才の丹薬のせいだった。しかも――その丹薬の材料も、彼がこうして「調達」したものなのだ。それを思うと、いっそう吐き気は強くなる。

 ひとまず主立った臓腑を抜き終えたところで、閃火は大きく息を吐いた。

 目を閉じても、瞼の裏まで血潮の色に染まっている。日々繰り返される、背徳の所業。人血をこごらせた丹薬を飲み、死せる人肉を夜ごと切り刻む――こんなことが、人の世で許されるはずもないだろう。

 だが、すでに魂魄を奪われ、人ならざる者となった彼は、主たる老人の命に従わざるを得ない。そうして幾度も幾度も繰り広げられる、深紅に塗られた光景が、始終目に焼きついて離れない。

 閃火はもう一度、肺腑の底から深く息をついた。いつの間にか手の震えが収まらなくなり、作業を続けることが困難になっていたのだ。

 拭う暇すらなく、血まみれの手のまま彼は懐を探り、丹薬を取り出した。赤く染まったその薬を飲み込むと、血の味が口腔にじわりと広がる。

 もともと血が苦手だった彼は、日々こんなことを強いられ続けたせいで、薬を飲まない時には血の臭いを嗅いだだけでも昏倒してしまうほどになってしまった。

 他の仲間は、血に弱い自分を闇の仕事に向かないと思っているだろうが、実際に最も濃い闇に染まっているのは自分なのだ。その思いが、いっそう閃火を暗鬱にさせる。

 ――阮少卿の邸で見た、あのおぞましい代物。

 人体の一部を抜き取ったものを、阮少卿は壺に収めて保管していた。だが、あれを実際に処理したのは阮少卿ではなく、間違いなく自分のはずだ。恐らく作業を終えた後で、鬼才が阮少卿に預けたのだろう。

 自分の罪の証を突如眼前に突き出され、彼はあの時立ちすくんだ。そして――濃厚な血の臭いが、かろうじて保っていた彼の意識を闇に突き落としたのだ。

 それでも彼は今日も刃を振るい続ける。拒むことができない以上、罪を重ね続けていくしかない。

 阮少卿の巨体は、作業に要する時間も人並み外れていた。また、確保できた「材料」の量も段違いだった。もしかして、鬼才はこの日のために阮少卿を丸々と肥やしていたのではないだろうかと、朦朧とする頭の隅で彼は思った。食うために、無理やり肥らせる家畜のように。

 そうして搾り取った血を壺に収め終えたところで、閃火は倒れた。薬の効果が切れた途端、むせ返るほどの血の臭いで気絶したのだ。

 だが、鬼才は昏倒した閃火になど一瞥もくれず、たっぷりと血をたたえた壺をひょいと持ち上げると、満面の笑みを浮かべた。中身がこぼれないよう、慎重に懐にしまいながら、鬼才はゆっくりとつぶやいた。

「――月の巫女よ、これが最後の献上品じゃ」





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